高塚Q「高塚Q傑作シリーズ デストロイ・ラバーズ」(2016年8月発行)

 収録作品

・「夕飯の支度」(制作年月日不明/2ページ)

・「滴る犬」(1996年7月「ミステリーLacomic」)
「目の見えない妹の飼う犬が死んだため、兄は犬を買いに出かける。
 持ち金は500円。
 すると、500円で犬を売る店があった。
 しかし、その店で売る犬は、両目を母親に抉り取られた少年であった。
 兄は、その少年を買って帰るのだが…」

・「震える種」(1998年7月「オール怪談」)
「子供の頃、父親は豊によく苺を食べさせてくれた。
 しかし、その苺が育つ土壌には、父親に殺された母親が埋められていた。
 父親の自殺後、豊は親戚の家に養子として引き取られるが、彼の身体の中では苺の種が芽を伸ばしていた。
 高校生になった豊は、発育を止めるために、再びあの苺を育てようとする。
 しかし、その苺には特殊な肥料が必要であった…」

・「痴漢処刑都市」(徳川龍之介・原作/2016年4月未発表)
「痴漢は処刑される世界。
 女性だけの「C・S・I(痴漢消滅委員会)」は全ての性犯罪者を情け容赦なく断罪していく。
 20歳の中森晃は、死罪を免れ、更生教育を受けることとなる。
 教育担当の森下千花は晃と共に過ごすうちに、二人の間にある感情が芽生え始めるのだが…」

・「青春18ギブス」(2001年11月「ミステリーLacomic」)
「夏休み前に、左足を骨折した塩田康博は鬱屈した日々を送る。
 外に愛人をつくって帰らない父親、新興宗教にはまる、無神経極まりない母親。
 ある日、強盗に襲われ、刺された母親を、康博はめった刺しにして殺す。
 この件は強盗の仕業となり、康博は父親に引き取られることになる。
 転校前に、康博はこの秘密を、ひそかに憧れていた川田というクラスメートに話す。
 すると、川田も「自分の秘密」を康博に明かす…」

・「肉が悦ぶ日」(2000年3月「恐怖の快楽」)
「いじめられっ子の四ツ橋は、皆の憂さ晴らしの道具であった。
 不良共にボコボコにされた後、川辺というクラスメートは更に凄惨な暴力を彼に振るう。
 しかし、その中で、四ツ橋は目くるめく快楽を味わう。
 高校を卒業し、いつしか親の会社で安穏とした日々を送る四ツ橋は、偶然、川辺と再会。
 川辺は職を失い、痴漢の前科を持つ敗残者となっていた。
 高校時代の甘美な快楽を取り戻すため、四ツ橋は川辺を会社に雇い入れるのだが…」

・高塚Q「カレーライスとラーメンの女」(1997年4月「恐怖の快楽」
「働く気もなきゃ、ゼニもないサラリーマンの男性。営業成績はだんとつで最下位。
 彼はただただ空きっ腹を抱えて、喰うことだけを考えて生きる…」

・「滲む石鹸」(1998年1月「大恐怖」)
「住友裕子の父親は、母親の再婚相手であった。
 右足が義足の父親は、母親を毒殺、裕子を溺愛するあまり、全てを独占しようとする。
 裕子に思いを寄せる三和は、父親に暴力を振るわれている裕子を心配するが、そこには父と娘の奇妙なつながりがあった…」

・「復習問題」(2005年「ミステリーLacomic」)
「我が子を守るために、右手を失った母親。
 父親は母子を捨て、愛人と心中。
 どこか頭がおかしい母親と娘は閉塞した日々を送る。
 父親の命日、娘が墓参りに行くと、父親と心中したが、未遂に終わった女性を墓地で見かける…」

・「終電」(2013年2月コピー誌)
「平凡な日常にしがみつく女性、あや。
 「子供の時間」を終わらせた妹と会い、焦燥感を募らせていく。
 飲み会でも平凡な日常に戻るため、終電にこだわるのだが…」

・「最高気温38度」(2001年未発表)
「暑い夏。
 耐えがたい熱気の中で、少女はあらゆるものが自分と同じ共通項を見出していく…」

 「高塚Q 傑作シリーズ」第二弾は、怪奇ものと言うよりも、(広い意味で)官能的、もしくは、日常生活を題材にした観念的な作品で占められております。
 「官能的」と言いましても、「sexual」というわけでなく、人と人を結びつける「絆」が根本的にフェティッシュであったり、自己犠牲的であったり、従属関係であったりとどこか「倒錯」しているところにその要因があるのかもしれません。
 「倒錯」した「絆」にがんじがらめにされ、歓喜の悲鳴を上げながらも、自らの「愛」を貫き通そうとするところに、高塚Q先生独自の「詩情」があるのではないか、と私は考えてます。

 と、知ったようなことをつらつら書きましたが、私は大して学のある人間ではありません。
 一を聞いて十を知る才覚など全くなく、十を聞いてようやう一がわかるかどうかの頭脳しか持ち合わせておりません。
 また、評論家(注1)のように、薄っぺらな意見をゴテゴテした言葉で飾るような芸当も無理であります。
 というわけで、私の貧相な言葉では、高塚Q先生の作品の魅力を1%も伝えることができません。(特に、観念的な作品は難解で、私の要約は無惨です…。)
 前作の「青春悩電波選」はすでに絶版ですが、この単行本はまだ通販で入手することができます。
 こんな駄文でも気になった人がいるなら、是非ともチェックしてくださいませ。(再版かかるかどうかわかりませんよ。)

・注1
 私の考えとしては、評論家とは「専門的もしくは難解な用語を目くらましに用いて、自分の嗜好や意見を、あたかも一般的なことのように論ずる」人達だと思っております。
 物事の真の価値を見抜ける人はほんの一握りで、残りは自分の嗜好・意見を正当化・権威づけするために血道を上げているだけでありましょう。

 評論家とやらには苦い思い出がありますので、愚痴なのは承知で、書いておきたいと思います。
 私が田舎の高校生の頃、1960年代のロックにはまっておりました。
 どんどん深みにはまって、大した英語力もないのに、フランク・ザッパなんか聴いておりまして、その関連でキャプテン・ビーフハートにまで手を出しました。
 当時、ワーナーからキャプテン・ビーフハートのレコードが本邦初CD化されまして、「トラウト・マスク・レプリカ」を始め、四枚発売されました。
 その全てを購入したのですが、「スポットライト・キッド/クリアー・スポット」の解説に衝撃を受けたのであります。
 この解説を書いたのは、市川哲史という音楽評論家ですが、最初の方にこう書いてあったのです。

「大胆な再発だワーナー・ミュージック・ジャパンー何たってキャプテン・ビーフハートだ。
 「通常のロック・ファン」はおそらく、長い一生の中でまず遭遇しないはずだ。
 「僕はビーフハート信者です」なんて事を言う21歳成人男子が居たら、とりあえず悪夢だと思って私は寝込んでしまいたい。
 そんな奴は馬鹿であるオタクである役立たずである。
 そういう人達の為に、私も書きます。」

 これを読んだ時の衝撃は凄まじかったです。(今も書き写していて、心が汚れそうです。)
 私は別にビーフハートの信者ではなかったのですが、何故、金を払って買ったCDで、こんなこと言われなきゃならないんだ?とムチャクチャ腹が立ちました。
 音楽に関する知識が豊富だったら、お前は他の人間を見下す権利があるのかよ?
 大体、評論家って何様?!
 と、長い間、モヤモヤしていたのですが、スネークマン・ショーの「若い山彦」(絶対に聴いて!!)を聴いた時、ポンと膝を打ちました。
 あ〜、評論家ってその程度のもんなんだな〜。(スッキリ)

 という、他の人にはどうでもいいような経緯があるため、私はこのサイトでは、なるべく人を煙に巻くような真似はせず、自分の嗜好・意見は率直に打ち出すように努めております。
 ただ、やはり、人に賢く見られたいという自己顕示欲は抑えるのが難しく、気が付くと、知った風な口をきいて、小難しい理屈を並べていたりします。
 そういうワケですので、皆様方、私が乏しい知識や見当違いな意見をこれみよがしに振り回しているのを見かけたとしても、露骨に冷笑を浮かべたりせずに、どうかそっと顔をそむけて、無視してやってください。心からのお願いです。

 ちなみに、キャプテン・ビーフハートのCDは、当時買った「トラウト・マスク・レプリカ」等はいまだに聴く時がありますが、「スポットライト・キッド/クリアー・スポット」の方は全部通して聴くことができません。
 どうもこの解説のことを思い出すと、ムカムカして、純粋に音楽を楽しめないのです。
 ちょっと長くなりましたが、腹いせのために、この駄文を掲載する次第であります。
 んで、こんな偉そうなことを書いた市川哲史とやらが今も「音楽評論家」を名乗っているのかどうかは知りませんが、「くたばれ」と最後に一言添えておきます。

2017年1月2日 ページ作成・執筆

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