川島のりかず「私の影は殺人鬼」(1988年2月16日発行/青217・1988年6月16日発行/青234)

「東京から一年前まで住んでいた町に向かう典子。
 その町に住んでいた頃、典子は学校でいじめられ、また家族は地上げ屋から毎日嫌がらせを受けていた。
 自分の家に久しぶりに帰って来た典子は、そこで謎の影法師(女性)と出会う。
 影法師(♀)に言われるまま、付いて行くと、ある洞窟に昔典子をいじめていた少女達が集められ、影法師は彼女達に制裁を加える。
 次に、影法師は典子の一家をここに住めなくさせた地上げ屋を、ボディガードの二人を含めて、惨殺。
 怯えながらも、胸の奥深くでスッとするものを感じる典子。
 典子は影法師から逃げようとするが、遂には追い詰められる。
 影は典子と自分は一体だと主張するが、典子は頑として聞き入れない。
 そこで影は典子の首を絞め、意識を失ったところを丸呑みにする。
 以降、影は歯止めが利かなくなったかのように、殺人を繰り返す…」

 後期の川島のりかずの作品は血腥いものが多いのですが、これはその頂点に位置するでしょう。
 ストーリーはまんま「私の影は殺人鬼」。ただ、ストーリーは混乱していて、よく理解できないところもあります。
 とりあえず、殺人鬼と称するだけあって、殺人シーンの連続。何の容赦もなく、片端から人が殺されていきます。こういうのを見ていると、一昔前(もう約三十年前の映画なんですね…)の「13日の金曜日完結編」を思い出します。というか、「13金」を初め、当時のスプラッター映画にかなり影響を受けているはずです。80年代のスプラッター映画のほとんどが「人がどんなふうに、かつ、如何にリアルに殺されるか」というのが最大の売り物でした。人が残酷に殺される描写は、子供をびびらせるのに最も単純かつ効果的な方法です。「13金」などの影響を受けた先生がこういう路線に足を踏み入れていったとしてもおかしくないと思われます。「SFミステリー」だろうが何だろうが、やはり、ひばり書房の真骨頂は怪奇漫画なんですから。
 殺人シーンの目玉は何と言っても、pp148〜162の警察官大虐殺
 おとり捜査で影を追いつめるも、ピストルが利かずに逆襲されて、16ページの間に六人が殉職、一人は片腕を切り落とされます。コマ送りで、肉包丁が頭や首に食い込んでいく様は、描線だけのスカスカな絵柄も相まって、現実感というものが全くなく、ホラー映画に夢中な中坊の見る白昼夢のようです。
 ただ、殺人シーンのバリエーションが乏しいのが残念。凶器はほとんどが肉切り包丁一本、それで頭を叩き割ったり、首をちょん切ったりしているのですが、どれもこれも似たり寄ったりで、あまり印象に残りません。もっと様々な凶器で、あんなことやこんなことをして欲しかったなぁ…と考えてしまう自分は、やはり、仕様もない妄想に耽っていた、ホラー映画好きの中坊の頃と余り変わってないのかもしれません。
 それにしても、この漫画を読んでいると思うのは、余りにも殺人シーンにコマを使いすぎだということ。一人殺すのに、約2ページの割合です。スローモーションで包丁が身体に食い込んでいき(喰う込むたびに「ウガッ」「ガアッ」とか喚いてます)、最後に断末魔の叫びと共に、血が飛び散って終わりというパターンが大ゴマで描かれていきます。特に、最初の方に出てくるヤクザの親分は6ページに渡ってなぶり殺しにされています。(子分二人は合わせて8ページです。)ざっと見てみると、この一冊(約190ページ)の中に、殺人シーンだけで40ページぐらいありまして、2割が殺人シーンです。個人的に、作品中で殺人シーンが同じぐらいの比率を占める漫画家は御茶漬海苔先生ぐらいしか思い浮かびません。
 推測ですが、川島先生はどうしてもアイデアが浮かばなかったとか、締め切りが間近だったりして、切羽詰まっていたんじゃないでしょうか。先生は5年間で約30冊、ひばり書房に残しています。単純に計算して、2ヶ月に一冊というペースです。これって意外としんどいペースなんじゃないでしょうか。特に、最後の方になると、ネタにも詰まることが多かったかもしれません。
 ネタが尽き、たった独り、煙草の煙と共に無情に時が流れていく。そんなスランプ状態の時、思わずこんなスプラッターな作品が生まれてしまったのかもしれません…全くの推測ですが。
 まあ、好きな作品です。やっぱ警察官大虐殺だよね。

平成16年8月27日 もとになるページ作成
平成27年1月20日 ページ作成・執筆

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