白川まり奈「怪奇!!猫屍鬼(ニャンシー)の街」(1986年11月6日初版)

「とある町に、猫館と言われる家がありました。
 そこのお婆さんは、捨て猫を拾い集めて、家中、猫だらけにしておりました。
 町の人々に爪弾きにされていたお婆さんですが、ある日、自分の可愛がっていた猫が解剖され殺されるという事件が起きます。
   町の人には相手にされず、人の心の冷たさに悲観するあまり、屋敷ごと、焼身自殺した婆さんは化け猫(というか、猫の首が肩にくっついたゾンビ?)になり、甦ります。
 手始めに、送電塔を破壊し、町を孤立させます。
 次の日の夜から、次々に町の人々が行方不明になっていきます。
 化け猫となった婆さんに襲われた人間は、頭蓋骨を切り取られ、脳みそを舐められると、ゾンビになってしまいます。
 主人公の女の子の友達もゾンビにされ、猫を解剖をした犯人を捜すよう言われるのでが、犯人は全く見当もつきません。
 そして、ある夜、ゾンビ達の総攻撃が始まり、町は壊滅、主人公たちの所へもゾンビ達が押し寄せてきます。
 その最中(さなか)、猫を解剖した犯人が明らかになるのでした…。」

   いまいち訳がわからないと思いますが、実際、そういう内容です。

 それにしても、猫屍鬼(ニャンシー)という名前が、無意味にキョンシー・ブームに便乗していて、とってもファンシー!! (注1)
 でも、粗筋だけでもわかると思いますが、キョンシーは全然関係ありません。
 恐らく、作者の頭の中では、
「キョンシーっていうのがブームだそうだ…編集者に何かその手のマンガを描けとせっつかれているのだが…(そんなもんは諸星大二郎にでも任せとけばいいんだ)…この白川まり奈、妖怪博士(注2)を名乗るからには、安易に時流に乗った作品を描くわけにはいかぬ!!…そのようなことがあれば、『あの本格派の白川まり奈が!!』(注3)とファンに後ろ指を差されることになるだろう…ここは一つ、オリジナリティーというものを発揮せねば…しかし、相手は中国の妖怪…一筋縄ではいかぬ…大体、シナの妖怪には愛嬌ってもんがない…(妖怪ってやつは『人間臭さ』ってところが魅力なんだが、シナの妖怪はそいつがちと鼻につきすぎる)…しかし、文句を言っても始まるまい。まずは、仕事だ…キョンシーか…(そこに、飼い猫が膝の上に上ってくる)そうだ!! ニャンシーというのはどうだろう…化け猫がキョンシーを操るのだ!!…化け猫なら日本では由緒ある妖怪!!…これならシナのもののけにも対抗できるはず!!…行ける!!行けるぞ〜!!」
 と、僕の勝手な脳内妄想なのですが、そういう経緯で、このマンガを描いたのではないでしょうか?
(スカスカな絵柄を見る限り、説得力は限りなくゼロへと近づいていきます…。)

 まあ、多分、いろいろあって、ゾンビというモンスターに、日本古来の化け猫を無理矢理に合体させてできたのが、このマンガです。
 意外に、「ゾンビ+化け猫」という組み合わせは新鮮に思えますね。
 ただ、誰もそんなことを考え付かなかったというだけかもしれませんので、そこが評価のわかれるところではあります。

 そんなこんなで、このマンガ、キョンシーなんかは歯牙にもかけずに、白川まり奈先生のオリジナリティーが炸裂しております。(注4)
 まず、爪で頭皮を切り取り、頭蓋骨を歯で切開し、むき出しにした脳味噌をなめることによってゾンビにするという設定がよくわからない。
 よくわからないが、凄い!!
 がんがん人間を襲って、嘗めまくってます。
 また、脳味噌むき出しにしたゾンビが満月の晩に踊るように行進するシーンがあって、この作者はどういう神経してるんだ…と、呆気にとられること必至です。

 そして、毎夜毎夜、町の人間を襲って、手持ちのゾンビが増えると、猫ゾンビ婆は、満月の晩に生き残りの人間に総攻撃を加えるのですが、この部分の描写もなかなか迫力があっていいです。
 地面から、水中から、橋げたから、ずるずるとゾンビどもが大量に這い出してくるのですが、やっぱり絵がスカスカな為、永井豪「デビルマン」中盤、「悪魔軍団VS自衛隊」のシーンの1/100ぐらいの迫力と言えばいいのでしょうか。
(「デビルマン」のこのシーンは、小学校の時に読んで、トラウマになりました…今読んでも、凄い!!)

 
 また、実は全ての元凶である、主人公の兄貴が、ストーリーとは何の脈絡もなく、唐突に絵の中から出てきた猫に襲われるシーンはバッド・トリップとしか言いようがありません。
 バッド・トリップと言えば、日野日出志の「赤い蛇」の少年が屋敷の中を逃げまどうラストが個人的に思い浮かびますが、やっぱり絵がスカスカなので、「赤い蛇」の1/500の迫力かな…。
 ラスト、町中の人間は主人公の少女を含め、皆殺しにされ、ゾンビとなって、いずこへと行進していく…
 という味のあるシーンなのですが、実は、主人公の少女の描いたマンガだったという落ち。(なんと今までのゾンビ騒動は、メタ・フィクションです。)
 何が「猫をいじめると、こんなことになる…かもしれないのよ」だぁー!!
 …と、口の端から黄色い泡を吹きながらシャウトしたくなるのですが、最後のページの「おしミャー」で文句を言う気力すら、なくなってしまうのでした。

 そして、巻末には取ってつけたような「化け猫博覧会」。
 …さすが妖怪博士。一筋縄ではいきません。
 その博学な知識を作品で活かしてほしかったというのは贅沢な悩みなのでしょうか?
 昭和50年代のストロングスタイルな作風でこのマンガを描けば、立派なトラウマ・怪奇マンガになったのでしょうが、結局は、スカスカの絵柄にテキトーな内容故に、バリバリのB級おばかマンガへと仕上がってしまっています。
 でも、これはこれでありでしょう。
 個人的な考えですが、1986年頃の時代の空気を感じます。
 あの頃は、バブル景気を目の前に、社会のあらゆるものが踊らされていました。かくゆう小学生のガキであった私も(ど田舎だったとは言え)ビックリマンシールに、ファミコンにといろいろ翻弄され通しでした。
 しかし、今となっては、全てが空虚で、全くのこけおどし…それでいて、ひどく懐かしい…そんな風に思えて仕方がありません。
 そして、私はそんなマンガを愛でてやまないのです。

・注1
 キョンシーも一種のゾンビですが、キョンシーを含めて、ゾンビを題材にした怪奇漫画はあまり多くありません。
 ゾンビって陳腐なモンスターなんです。
 だって、『生き返った死体』ってだけですもん。
 初期のゾンビ映画のように、ブードゥー教の秘術で甦って操られようと、ジョージ・A・ロメロの映画に出てくるゾンビのように人間をばりばり食いちぎろうと、額にお札を貼ってぴょんぴょん跳ねようと、『ナイトメア・シティ』や『バタリアン』のように全力疾走してこようと、結局は単なる『死体』です。
 そこに、ドラキュラや狼男、古来からの妖怪といったモンスターたちのように、人間の想像力の入り込む余地はあまりありません。
 飽くまでも、単なる『死体』であり続ける…これぞまさしく現代的なモンスターではありませんか!!

・注2
「妖怪天国」って本、KKベストセラーズから出してます。意外や、活字本です。

・注3
 白川まり奈は1970年代に曙書房というところから出していた怪奇マンガで殊に有名です。
 重厚なタッチで、民俗伝承等、巧みにストーリーに織り込んでいるそうです。
 今回、ご紹介している『ニャンシー』はじめ、後期ひばり書房(1980年代)に遺した三作(他は『血どくろマザーの怪』『母さん、おばけをうまないで』)は絵がスッカスカなのですが、昔は、楳図かずおをもっとどす黒くしたような絵でした。
 白川まり奈先生は、一部で評価が高いのはいいのですが、相場が高すぎて、読めません。
(まんだらけで買い取り価格が云万円というレベルです。10年前ぐらいに、『吸血伝』だけかろうじて入手できましたが、他の作品を手にすることができるのはいつのことやら…。
 『キノコンガ』と『どんずる円盤』は復刻されておりますが、その他の作品も何とか復刻していただきたいものです。
 最後に、後期ひばり書房に遺した作品で、結局、『あの本格派の白川まり奈が!!』と後ろ指を差されることになりました…合掌。

・注4
 今回、読み直してみましたが、キョンシーよりも『バタリアン』の影響を感じます。
 ただ、白川まり奈先生は大して自分のことはほとんど語らないまま、平成12年、脳溢血でお亡くなりになりました…合掌。

平成16年8月16日 とりあえず完成
平成23年1月2日〜19日 加筆・訂正
平成25年7月3日改稿

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