古山寛「闇が呼んでいる」(220円/1966年12月頃)
「矢代あずさは幼い頃から、似たような夢を繰り返し見ていた。
どこかの町の通りを抜けると、寂しい野原に出て、その先には痩せこけた、不気味な女性があずさを待っている。
年頃になるにつれて、夢は具体性を増していき、夢に出てくる女性はあずさを慕って、涙を流しながら、話しかけてくる。
その夢が度重なるにつれ、明るさを失ったあずさに、両親は祖父母の住む西伊豆へ旅行に出す。
あずさが訪れたところは、ひなびた漁村であったが、あずさは妙な懐かしさを感じる。
旧家では、あずさの祖母が病に伏せていた。
祖母は、あずさの今は亡き乳母が枕元に来て、あずさを連れてくるよう催促してきた、と話す。
あずさはその乳母というのが、夢に出てくる女性であり、自分は導かれて、この地を訪れたのではないか、とショックを受ける。
その夜、夢の中で、その女性があずさの寝床を訪れ、寝床からとび出して、あずさは失神する。
だが、翌朝、あずさの寝床の中でこと切れていたのは、祖母であった。
海辺で祖母の野辺の送りを済ました夜、その地で「みたま祭り」と呼ばれる行事にあずさは参加する。
祖母と乳母の魂のため、灯籠を海に流した帰り、あずさは道に迷ってしまう。
家に帰ろうと焦りながら、あずさは夢で見た光景と同じ、野原をどんどん突っ切っていく。
そして、その果てには、夢の女性が待っていた。
あずさの夢に現れる女性の正体は…?
そして、あずさの出生にまつわる秘密とは…?」
古山寛先生の「少女スリラーシリーズ」の中では個人的に一番好きな作品です。
理由は、「少女スリラーシリーズ」で最も「怪奇色」が強いから。
二番目の理由としては、漫画にしては珍しく、「被差別部落」を扱っているから。(ちゃんと伏線になっております。)
「四つ者」なんて呼び方、初めて目にしました。(注1)
そして、三番目の理由は、作中で出てくる、白痴の尼さん、秀嶺尼(しゅうれいに)のキャラ。
この御人は、薄ら笑いを浮かべた仮面のような表情を絶えずしておりまして、なかなかコワい…。(いや、キュートかも…)
個人的には、この作品を読んでいると、気の抜けた「ジャイアント・ロボ」のような秀嶺尼ばかりが気になってしまい、ストーリーなんかどうでもよくなってきます。
漫画に限らずあることですが、全体的に質は高いのに、妙な脇役やらのおかげで、肝心のストーリーが霞んでしまう、ってことありません?
・注1
この言葉に関して、簡単に知りたい方は、wikipediaで「四つ(日本語の表現)」をご覧になってください。
詳しく調べたい方は…ネットでは無理だと思いますので、図書館に行って、専門書を探しましょう。
ちなみに、私が日頃使っている辞書は二冊ありますが、そのうちの一冊には「えた」「同和問題」の項目がありません。
これって「臭い物に蓋」ってことなのでしょうか?
・備考
ビニールカバー剥がし痕あり、また、一部貼りつき。読み癖あり。後ろの遊び紙に貸出票の剥がし痕あり。
2017年2月20日 ページ作成・執筆