美内すずえ「金色の闇が見ている」(1976年7月20日第1刷・1981年2月25日第7刷発行)
収録作品
・「金色の闇が見ている」(1975年「別冊マーガレット」五月・六月号)
「病弱な弟の静養のために、おじのもとに身を寄せる姉弟、エスターとサミュエル。
おじの住む、ウィンローの町は、湖の中の島にあり、自然豊かな、趣のある町であった。
だが、そこではネズミの駆除のために、移入した猫が大繁殖し、人口二万人に対して、猫十万匹という、べらぼうなことになっていた。
猫による被害が続出したために、町は本格的な猫狩りに乗り出す。
その際、サミュエルが心から可愛がっていた猫、ジョエルとノエルも係員によって連れ去られてしまう。
ジョエルは殺害されるが、逃げ出したノエルは、人肉を食べて、生き延びる。
そして、町の猫達のボスとなったノエルは、計画的に町の人々を襲い始めるのだった…」
・「炎のマリア」(1972年「別冊マーガレット」六月号)
「1870年、サウデリローズの町。
守銭奴として人々から忌み嫌われているスノーデン夫人のもとに一人の孤児が届けられる。
孤児の名は、ジェーン・エバンスといい、年は十歳であったが、産まれてこの方、悲惨な境遇ばかりを経てきた。
赤ん坊の頃には、夫を亡くした母親が無理心中を図ったところをかろうじて救われる。
母親は病院から失踪し、以来、孤児院にて育ち、その心は荒み切っていた。
ジェーンのおばだと名乗るスノーデン夫人は、ジェーンを「一人前の人間」に育てるべく、厳しく接する。
だが、本当は、彼女はジェーンの実の母親であった。
しかし、彼女は一度ジェーンを捨てた負い目から、ジェーンの母親であることを明かすことができず、一人苦しむ。
一方、ジェーンは自分の母親の面影を、教会にある聖母マリアの像に見出していた…」
「金色の闇が見ている」は、「動物パニック」ものの知られざる傑作であります。
1970年代には、オカルト・ブームと並び、「動物パニック」ものがブームでありまして、数多くの映画が制作されました。
代表的な作品として、「ジョーズ」「恐怖!蛇地獄」「グリズリー」「スクワーム」「吸血の群れ」等々、数多くあります。
ですが、怪奇マンガには「動物パニック」ものはあまり見かけません。
恐らく、動物をたくさん描くのが面倒だから、という理由によるものと私は考えております。
ですが、そんなことにはお構いなしに、美内すずえ先生はその「剛腕」を発揮、「別冊マーガレット」にて「人喰い猫」描写を大々的に展開したのでありました。
ただ、難を言えば、猫が人を襲うというのは、犬や鼠に較べて、説得力が劣る印象が最後まで拭えなかったような気がします。
ですが、ここまで派手にやれば、やったもの勝ちでありまして、動物パニックものでこのレベルにまで達した作品はほとんどないようです。(注1)
ちなみに、この作品に影響を与えたのは、バートン・ルーシェ「人喰い猫」とジェームズ・ハーバートの処女作「鼠」(でかい鼠の群れがロンドンを蹂躙する話)ではないか、と推測しております。(注2)
また、1969年には、猫が人を襲うらしい「猫」(「eyes of cats」)という映画もありますが、未見ですので、関係があるのかどうかわかりません。
それよりか、鼠を飼う陰気な青年を描いた「ウィラード」(1971年/米)の影響の方が顕著かもしれません。(「ウィラード」では二匹の鼠が副主人公でありますし、知能の高い鼠による人間への復讐も共通しているように感じます。)
まあ、ぐだぐだと根拠のないことを書きましたが、「先見の明」に溢れた美内すずえ先生のことですから、「大量の猫が人を襲ったら、怖いんじゃないかしら」とぱっと閃いて、その想像力の赴くままに描いたという可能性もあります。
いずれにせよ、美内すずえ先生が凄過ぎることだけは確実です。(注3)
・注1
個人的に、動物パニックをテーマにした怪奇マンガの最高峰は、日野日出志先生の「はつかねずみ」(1970年)です。
・注2
ただし、バートン・ルーシェ「人喰い猫」は発表は1974年ですが、日本に翻訳されたのは、もっと後の可能性があります。
文庫本は「1978年6月30日初版・9月30日再版発行」になっておりますので、「金色の闇が見ている」が発表される1975年より前に、日本で紹介されたと考えるのは、ちとキツいかも。
ただ、「リゾート地で捨てられた猫達が繁殖・野生化して、人間達を襲う」というストーリーは、「金色の闇が見ている」と若干重なるような気がするのですが…。
・注3
と言う割には、「ガラスの仮面」を全く読んでおりませんので、私の言葉には重みが一切ありません。あしからず。
2017年2月17日 ページ作成・執筆