北杜太郎「水血魔」(1963年7月12日発行/190円)

「伊予の国での話。
 国元へ帰る途中の、伊予松山藩士の神崎又四郎と山田助三郎。
 本街道を外れ、田舎道を通っていたところ、肝心の橋が流されていて、渡れない。
 川辺にいた童に渡れそうなところを尋ね、案内を乞うが、童について川を渡ろうとした助三郎は川に引きずり込まれ、童も姿を消す。
 又四郎は助三郎の姿を探して歩くが、皆目見当たらず、近くに小屋を見つけた又四郎はそこに一泊することになる。
 又四郎が事情を声明すると、住人の老夫婦はこれは河童の仕業だと説明する。
 河童は旅人をだましては、川に引きずり込み、臓腑を喰らうのであった。
 そして、老人の言う通り、翌日、助三郎の腑抜けとなった死体が下流の岩の上に横たわっていた。
 又四郎は復讐を決意し、旅人に変装して、川へやって来る。
 読みが当たり、童に扮した河童が案内しようと、又四郎のもとにやって来るが、川に入る直前にこれを斬殺。
 老夫婦は河童を懇ろに弔わなければ、祟りが起こると説くが、又四郎は河童の死体を川に蹴り込んで、故郷へ戻るのだった。
 それから、数年。
 子供のない神崎又四郎夫婦は、子供が授かるように地蔵尊に願をかけていた。
 ある日、夫婦の夢に地蔵様が現れ、天神の森の一本杉に行くようにお告げをする。
 又四郎夫婦がそこへ向かうと、そこには元気な男の子が捨てられていた。
 授かりものとその赤ん坊を抱いて帰る途中、奇妙な容貌の赤ん坊がこれまた捨てられていた。
 妻はこの子も一緒に育てようといい、最初の子を新助、次に拾った子を我太郎と名付ける。
 数十年後、新助は立派な少年に育つが、我太郎の方は奇妙な少年となる。
 又四郎は我太郎を気味悪がっていたが、そのうちに、夜ごと、原因不明の激痛に苦しむようになる。
 新助は我太郎に疑いの目を向けるのだが…」

「河童」を題材にしたマンガって多そうで、あまり見かけない気がします。(文学作品には有名なものがあるのにね。)
 代表格は、水木しげる先生の「河童の三平」でしょうが、その他で思い当たるものと言えば、個人的には、杉戸光史(以下、敬称略)「妖怪少女」、ささやななえ「河童(かわっぱ)」、明智抄「河童(エンコウ)少女」ぐらいです。(後者の二作品は伝統的な「河童」を扱ったものとは言い難いのですが。)
 水木しげる先生のように子供の頃、河童のせいで死人が出た云々というような体験をしている人ならともかく、戦後生まれの漫画家にとっては、泥臭い「河童」よりも銀幕やブラウン管の向こうのモンスターの方が遥かに馴染みがあったのではないでしょうか。
 そして、現代に至っては、よほどの田舎に行かない限り、河童が棲めるような川はありませんし、子供達は川で遊ぶということ自体、事故予防の観点からほとんど禁止されております。
「河童」も、自然が人間の管理下に置かれるに従って、(存在の有無はともかく)忘れられていった妖怪の一つであるように思います。

 と、こういう小難しいことは妖怪研究家の方々にお任せして、さて、北杜太郎先生の「水血魔」であります。
 この作品に出てくる河童は、民話や水木しげる先生のマンガに出て来るような、温かい血の通った妖怪ではありません。
 人をだましては溺死させて、その臓腑を喰らう、邪まな妖怪として描かれており、そこには水木しげる先生のような、河童に対する思い入れは皆無です。
 ただ、「河童=三平」といった図式を刷り込まれている私にとっては、バリバリのB級モンスター扱いは、これはこれで新鮮でした。
 芥川龍之介の描いた河童像のまさしく真逆と言えますでしょう。

・備考
 ビニールカバー貼り付け。全体的にシミ多し。pp51・52、コマにかかる裂けあり。pp17〜20、下部に虫食いのような欠損あり(コマにはかからず)。

2016年1月1日 ページ作成・執筆

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