森由岐子「魔神の巫子」(220円)
「みずえの家は、代々、魔神を祀る神社の神官であった。
長女のみずえは中学を卒業後、巫女として、神官の父親の仕事を手伝う。
神社は、みずえの両親の代に、魔神の御加護があると参拝客が急増。
お賽銭に、御守代、結婚式といった催し物のお陰で、神社にお金が入り、ますます神社は大きくなる。
一方で、みずえの両親は信仰心をなくし、守銭奴と化していた。
みずえは両親の堕落ぶりに心を痛め、諫めるが、全く聞く耳持たない。
それどころか、両親は、参拝客に災難をもたらしてまで、寄進を求めようとしていた。
みずえはこの状況に耐えられず、男友達の史郎のもとに身を寄せるが、彼の母に諭され、戻ってくる。
数日経った夜、巨大な足音が聞こえ、神社の御神体である魔神の像が消失。
魔神の姿は見えねど、足音だけは響き、天罰が下ると告げて、去っていく。
両親はショックを受け、すっかり弱気になってしまうが、その次の夜、再び巨大な足音が聞こえる。
庭に出ると、魔神の像が現れ、みずえの父母に天罰が下ると宣告する。
自分の罪に気付いた両親に、みずえは改心するよう説得する…」
特撮映画「大魔神」の影響下に描かれているのでしょうが、それよりも、金儲けに走る神官の描写に重点が置かれており、宗教について考えさせられる作品になってます。
神道だろうが、キリスト教だろうが、仏教だろうが、いくらきれい事を申しましても、「権力と、金の集まるところは腐敗する」ものなのであります。
そんな生臭い内容を、貸本漫画で真正面から扱ったものって、池川伸治先生を除いては、珍しいのではないでしょうか?
あと、このマンガには面白い描写があります。
神主である父親が参拝客に声をかけ、「近々、災難に遭う」と予言。
→そこで、神様にお祈りして、災難を軽くしたから、何かあった後、神様の感謝の印として、寄進するよう言い含める
→その夜、母親が丑の刻参りをして、その参拝客が軽い災難に遭うよう、願をかける
→軽い災難に遭った参拝客は、魔神の御利益と、神社に寄進
といった流れなのですが、この手法で荒稼ぎをしており、う〜ん、新たなビジネス・チャンスの予感…(んなワケ、ね〜だろ!!)
ちなみに、この丑の刻参りの描写ですが、この格好だと髪の毛が蝋燭の火で燃えてしまうのではないでしょうか?
作法通りに「頭に金輪をかぶり、その三つの足にろうそくを立て」(注1)た方がいいと思いますよ。
・注1
小松和彦「日本の呪い」(光文社/カッパブックス/1988年2月29日発行)p180より引用。
・備考
カバー欠。表紙に、マジックの「15」やボールペンでの落書きあり。
2017年12月13日 ページ作成・執筆