しきはるみ「怪談継母たぬき女」(220円)



 今回、ご紹介するマンガはしきはるみ先生の「怪談継母たぬき女」なのですが…こんなマンガなんか知らねえよぉぉ!!という、いつものシャウトが聞こえてきそうであります。
 ですが、実はこのマンガ、唐沢俊一氏による『まんがの逆襲』(注1)という本で紹介され、貸本怪奇マンガ・マニアという極々々々少数のマニアの暑苦しい視線を今もなお浴びている(のか?)、由緒正しいマンガなのであります。
 その本で「ブッ翔んだ作品」と称された、この『怪談継母たぬき女』。
 確かに、このタイトルと表紙を見ただけで胸躍りますが、これを機に大ブレークを果たすかと思いきや、復刻にしろ紹介にしろ、ちっとも進んでいないのが現状なのであります。

 理由を考えてみたのですが、幾多の理由の中で恐らく、最大の理由が『地味だから』だと推測されます。
 しきはるみ先生は貸本時代(1960年代後半)に、東京漫画出版社を中心に数多くの怪奇マンガを上梓しましたが、どれも人情味に溢れ、味わいに満ちた作品が多いです。
「人情」を基調としているため、手堅くまとまっており、エキセントリックな要素はそれほど、濃くありません。
 良くも悪くも、徹底してワン・パターンな「因果応報」のストーリーでありまして、それが今の時代には、泥臭い印象を与えるように思います。
 個人的には、しきはるみ先生の作品は、能天気な絵柄の中にしんみりした雰囲気に溢れ、かなり好きなのですが。
 ただ、1970年頃には筆を折ってしまったらしく、その後の消息は(今のところ)全くわかりません。

 こんな話をぐだぐだしても、興味のない人には単なる無駄口に過ぎないでしょう。(まあ、皆、読み飛ばしてくれるとわかっているから、安心。)
 とりあえずは、ストーリーの概略を紹介いたしましょう。

「東北のとある村。
 登山に訪れた青年が道端で温泉を発見します。
 入ってみると、いい塩梅、小唄なんかも歌っちゃったりします。
 ふと漂う異臭…気がつくと、肥つぼの中にいたのでした。
 慌てて飛び出しましたが、どうもおかしいと訝る青年。
 その時、潅木の茂みから物音がして、タヌキが這い出てきます。
 自分が化かされていたことに気づき、青年はタヌキを登山用のピッケルで殴り殺してしまうのでした。

 そこで突然、現れるタイトル・ページ。 (上中央の画像を参照のこと)
 ここでのタヌキ女のイラストがあまりにも味がありすぎるので、皆様もご賞味くださいませ。
 でも、こんな女の人って、たまにいますよね〜。(いねぇよ!!)
 ムダに美脚なところが泣けてきます。(重度に脚フェチの人なら、顔がタヌキでも、結婚を申し込んでしまいそうな、キレイな御御足(おみあし)であります。)

 さて、この殺されたタヌキの屍を抱いて、嘆き悲しむタヌキ。
 どうもこのタヌキは母タヌキで、子タヌキはやんちゃが過ぎて殺されてしまったようです。
 そこに、中年の男が通りがかります。
 タヌキの死骸を見て、哀れに思い、墓をつくってやります。
 それを見て、ジ〜ンときちゃった母タヌキは男の後をつけるのでありました。

 男が向かったのは、一昔前までは田舎でもまだ見られた藁葺き(わらぶ・き)屋根の一軒家。
 男を出迎えたのは、少女と少年。
 男の名は野々宮孝一。少女は男の長女で、晴美。少年はその弟で、雄三です。
 母は貧乏がいやで、家出をしてしまい、親子三人の父子家庭です。(そう、貧乏はいやです……うん、いやです…。)
 父は姉弟に、生活のために出稼ぎにでたいのだが…と相談します。
 寂しいながらも、生活のために父親の出稼ぎに、姉弟は同意します。
 その話を窓から聞きながら、またもジ〜ンと涙を浮かべる母タヌキなのでありました。

 その日の夕方。
 家の戸を叩く者がいます。  晴美が出てみると、外にきれいな女性が立っておりました。
 女性が言うことには、自分は隣村のものだが、親と意見が合わずに家出をしてきた、行く当てもないうちに日が暮れたので、一夜の宿をお願いしたいとのこと。
 事情を聞き、とりあえずは一夜の宿を貸すことにしたのですが、女性は家に戻る気はないとのことで、父は姉弟と相談して、女性に家にいてもらうことにしたのでした。

 翌日、父は昨夜の女性に姉弟を託し、出稼ぎのため、東京へ向かいました。
 すぐに、女性と子供たちは打ち解けます。
 女性は子供たちに、実家から取って来たと新品の学習机やグローブをプレゼントしてくれました。
 そのうちに、父親からの手紙が届きます。
 手紙には、家にいる女性に母親になってもらうよう頼む旨が書かれてありました。
 晴美は手紙を女性に読ませ、晴美と雄三からも自分達の母親になってくれるよう請われます。
 子供達の熱心さに圧されたのか、「いいわ」と返事する女性。
 大喜びする子供達ですが、改まって「よろしくお願いします」と畏まります。
「まかしとき!」と自分の鳩尾(みぞおち)を打つと、「ポン」と音がします。
 目をまん丸にする子供たち。
 冷や汗をかきながら、「わたしはお腹をたたくと音がするのよ…きっと特殊体質なのね」と言い訳する女性。
 あっさり納得する子供達。
 そして、ポンポコポンポコと夜は更けるのでありました。

 さて、それから二ヵ月後。
 自分の子供の墓を参ったタヌキ女(以下、タヌキ女で統一。この女性の名前は最後まで出てきません。)は、家への帰り道、連絡の取れなくなった父親について考えます。
 子供たちも心配し、タヌキ女は東京に出てみることにします。
 父親が働いている建設会社に行くと、工事中に事故にあったとのこと。しかも、給料の前払いをしたのに、働けないのは大損だ、と嫌味を言われる始末。
 そこで、入院している病院へ出かけていくと、ようやく父親に会うことができました。父親は日雇い人夫なので、働けないことを苦に思っています。
 タヌキ女は父親を安心させ、院長先生に木の葉を変えた万札(違法)を渡し、たまった入院代を払い、良い治療を受けられるようにします。
 そして、銭ゲバな都会に嫌な思いをしながら、タヌキ女は村に帰ってきたのでした。

 その翌日、にわか雨に打たれ、びしょ濡れになった雄三は急性肺炎を起こします。
 診察代がないので、木の葉のお金で急場をしのぎますが、雄三の病態は悪くなるばかり。
 八方ふさがりになったタヌキ女は、本来の姿に戻り、仲間のタヌキ達のもとへと向かいます。
 そこで仲間のタヌキたちに相談すると、一匹のタヌキが薬草の野生している場所を教えてくれます。
 その薬草を煎じて、雄三に飲ますと、病状が少し軽くなりました。
 それから、雨の日も、風の日も、タヌキ女は薬草を取りに行きます。
 一度、たぬき姿の時、挟むタイプの罠にかかって、足をケガしたことはありましたが、うまく人間に化け、ごまかすことができました。
 そんなタヌキ女の献身的な働きにより、雄三はどんどん回復していきました。

 そして、すっかり良くなった雄三。
 親子三人で喜んでいるところに、手紙が届きます。
 手紙は父親からで、明日、帰ってくるとのこと。
 家族が揃うと子供達は大はしゃぎして、かくれんぼをすることにします。
 鬼が雄三で、数えている間に、逃げる晴美とタヌキ女。
 タヌキ女は、この姿なら見つからないだろうと、姿をタヌキに戻します。
 そこを地元の猟師に発見され、タヌキ女は猟師に銃撃されます。
 とっさに人間の姿に戻ったものの、傷は致命傷で、もとのタヌキの姿で事切るのでした。
 銃声に驚いて、その場にやってきた晴美たちに向かって、猟師は「今夜はタヌキ汁だ」と意気揚々と去っていきます。
 さて、晴美たちはいつまで経っても、母親が姿を現さないのをおかしく思い、母を呼びながら、探し歩きます。
 夕暮れの森の中を、晴美と雄三の「お母さ〜ん」という呼び声が空しくこだまするのでした。
 おしまい。」


 …いやあ、ヒドいッ!!
 全国の小学生の無垢な心に「やるせなさ」を無理やり刻み込んだ「ごんぎつね」よりも遥かにヒドい!!
 人間への恩返しの挙句が、「射殺&タヌキ汁」なんて、神も仏もありゃしません。
 しかも、こういう物語に付き物のカタルシスというものが皆無。誰も救われずに、ジ・エンドでございます。
 どちらかと言うと、毎日、新聞の事件欄を飾り立てている理不尽な事件の記事を読んで、どんよりした心持になる方に近いと思います。

 古来より、人間が異種族(蛇、馬、猿、等々)と結ばれる話は数多くあります。
 でも、所詮、相手は畜生。 (注2)
 人間とは相容れぬ仲なのかもしれませんね。
 実際、タヌキ女の本来の姿が、あの毛深い姿(上中央の画像を参照のこと) だとしたら、う〜ん、ちょっと考えるかも。
 というわけで、なかなか種族を超えるのは難しい…というお話でありました。
 ラストがちと強引に過ぎた感がありますが、これも作者が獣姦を阻止しようとしたためでしょう。
 決して、テキト〜に描きとばしていたら、予定のページ数で収まらなくなり、タヌキ女を射殺して、物語を無理矢理に完結させたわけではないでしょう…多分…。

・注1
 唐沢俊一・監修「まんがの逆襲 脳みそ直撃! 怒涛の貸本怪奇マンガの世界」(福武書店/1993年11月10日第1刷発行・12月20日第2刷発行)
 この本は、古(いにしえ)の少女向け貸本怪奇マンガを扱ったものでして、その時点でマニアック過ぎるのですが、様々な(ヒネくれた)文化的・社会的考察に溢れており、1960年代の裏・マンガ事情を知るには最適の一冊ではないでしょうか。
 また、この本は、池川伸治や西たけろう、さがみゆき(敬称略)といった先生方の再評価だけでなく、怪作中の怪作と知られる、三田京子『聖女もなりざ』、菅島茂『奇音』、谷ゆきお『おとこ足の少女』といった作品を紹介したことでも先駆的であったと、個人的には考えております。(この先生方の作品は人気があって、どの作品も常軌を逸したプレミアがついています。)
 それにしても、唐沢俊一先生、どうして、本作品や菅島茂「奇音」、三田京子「聖女もりなざ」をUAライブラリーで復刻してくれなかったのですか?
 いろいろと思うところはあるのですが、まあ、「言わぬが花」でありましょう。

・注2
 だからと言って、人類が、「万物の霊長」に値する存在とも思っておりません。
 ユダヤのことわざより「人間は最後に造られた。虫ケラでもそれよりは前だ。」
(「世界のことわざ・1000句集」(自由国民社/1980年9月15日第1刷発行)のp155より引用)
「万物の霊長」を気取ってふんぞり返る前に、謙虚になれ…ということでしょうか。

・備考
 ビニールカバー貼り付け。p130に絵を真似た、青ボールペンによる落書きあり。後ろの遊び紙に貸出票の剥がし痕あり。

平成25年2月22日〜3月15日 執筆
平成27年12月28日 ページ作成・改稿


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