川島のりかず「恐怖!! 顔を採られた少女」(1985年4月6日発行/青91)
・「恐怖!! 顔をとられた少女」
「行方不明の姉を訪ねて、山奥の村に向かうフッコ。
その途中、彼女は落とし穴らしきものに落ち、見知らぬ村に迷い込んでしまう。
その村では、皆、同じ顔、同じ服装であった。
彼らに引っ立てられ、村役場の村長のもとに連れて来られたフッコは、ギロチンにかけられそうになる。
フッコは何とか逃げ出し、クニ男という少年にかくまわれる。
彼は二ヶ月前にここに来て、整形手術をしなければ、生きていけないと言う。
彼が言うには、ここは異次元の村で、入り口はあっても出口はなく、少しでも皆と違っていたら、即死刑にされてしまうのだった。
フッコは悩むが、いつまでも隠れてもいられなくなり、遂に整形手術を受ける。
村の一員となったフッコだが、この村では徹底した洗脳が行われていた。
耳栓をして洗脳を防ぐ二人だが、ようやく見つけたフッコの姉は完全に洗脳されてしまっていた。
そんなある日、クニ男は自分の顔をつけた男を見かける。
どこかに出口があるらしい…」
内容的には、『顔のない眼』meets『全体社会』。
全体社会と言っても、ジョージ・オーウェルの『1984年』(未読)とは毛色が違い、『ミステリーゾーン』の人間が皆、豚面をしている話(タイトル失念)の方に近いです。
粗筋の、行方不明になった姉を探しに来た少女が別世界に迷い込むが、そこは皆が同じ顔、服装、考えという徹底した管理社会だった…というのはいいのですが、舞台はどう見ても、一昔前の典型的な日本の農村(あんな農村はもう存在しないと思われます)。
家屋は全て藁葺き屋根。スライド式の木戸を一歩はいると、土間。中は勿論、畳で、卓袱台や布団まできちんと描写しています。しかも、外には畑と山が広がって、非常に空気が美味しそうです。ちなみに、最高権力者は『村長』で、木造の市役所でお茶を啜ってます。(でも、医者の家だけ、近代的なのは何故?)
少女はアウトサイダーとして捕らえられ、死刑を命じられます。処刑方法は、ギロチンなのですが、大根で試し切りをしております。(ここをクリック→@A)
あなた方は大喜利の前座に出てくるマジシャンか何かですか?!
そんなこんなで、トンチンカンなように思われるかもしれませんが、それがこの漫画の魅力だと私は断言します。
だって、田舎の閉鎖性って、こんなものだもの。電車も通ってなかった地方出身の作者はそう共感してしまうのです。まあ、私の実家はそれなりに開けていた方だとは思いますが、それでも田舎が一種の管理社会・全体社会であることは骨身に染みております。そう思うと、こんな荒唐無稽な漫画でも、何かリアリティが出てくるのが、不思議と言えば不思議ですね。
あと、推測ですが、川島のりかず先生の第十作目だと思います。
・「幻の蝶」
「いじめられッ子のノボルは屋根裏の自分の部屋に引きこもり、大人の説得にも出てこない。
引きこもり生活を続けるうちに、彼の前に蝶の妖精が姿を現す。
彼は人間であることをやめ、蝶の世界へと旅立つが…」
恐らく「顔をとられた少女」(約150頁)では単行本としてボリュームが足りないので、ページを埋める為に描かれたのではないかと私は想像しています。
(この頃はまだ後期の作品のように残酷描写でページを稼ぐということをあまりしていません。「顔をとられた少女」は、後期の「私は生き血が欲しい」と較べると、淡泊な仕上がりになっています。飽くまでも、他の川島作品と較べたらの話ですが)
内容は「蝶好きな少年が、いじめのせいで引きこもりになり、最後は(少し松本零士ちっくな)蝶の妖精に誘われ、発狂する」という典型的なパターンです。
短編としてコンパクトにまとまっているものの、川島先生のラディカルな面が弱く、個人的にはいまいちな印象を受けます。
平成18年9月18・19日 もととなるページ完成
平成27年1月4日 ページ作成・執筆