山岸凉子「わたしの人形は良い人形」(1987年6月17日発行)
収録作品
・「わたしの人形は良い人形」(1986年「ASUKA」3月号〜5月号掲載)
「昭和21年、東京近郊M市。
急死した、野本家の女児に、竹内家から送られた市松人形。
その人形は、女児の霊が、親しい人を連れて行かないようにするための副葬品であった。
だが、野本家では人形を一緒に葬らずに、隠匿する。
そして、四十年後の昭和60年、高校に進学した野本陽子は、マイホームへの引っ越しの際に、その市松人形を発見する。
最初は可愛いと部屋に飾っていたものの、人形に絡んで、奇怪なことが周辺で起き始める。
徐々に追い詰められていく中、彼女は、竹内家の子孫、竹内陽(たけうち・みなみ)と知り合い、人形を浄化しようと試みるが…」
・「黄泉比良坂(よもつひらさか)」(1983年「ボニータ」9月号掲載)
「果てしなく暗く、静かな深淵で、一人の女が目を覚ます。
だが、五感は働かず、身体の感覚もない。
彼女は自分のことを思い出そうとするが、何も思い出せない。
たまに、目の前を人物や風景がよぎるが、それはすぐにかき消えてしまう。
彼女はひどく寂しく、誰かのいる所に行きたいと願いつつ、ただ待ち続けて…」
・「星の素白き花束の…」(1986年「ASUKA」9月号掲載)
「三十路近い独身のイラストレーター、三宅聡子。
彼女は、母親を捨てた父親の遺児を引き取ることとなる。
その遺児は、夏夜(かや)という名の、十五歳の美少女であった。
外国人の血が混じり、華奢な体つきの夏夜は、聡子の少女趣味とぴったり。
だが、妖精のような外見とは裏腹に、夏夜はその甘く爛れた本性を露わにしていく…」
個人的に、山岸凉子先生の怪奇マンガは実に「神経に障る」と思います。
「不快」とか「気持ち悪い」とかそういう表現よりも、「剥き出しになった神経を撫でられる」ようとでも表現すればいいのでしょうか、非常に耐えがたいものがあります。
そのため、派手なシーンでなくても、しかも、同じシーンを何回見ても、条件反射のように、背筋にぞわぞわきます。
人形ホラーの傑作と言われる「わたしの人形は良い人形」、久々に鳥肌が立ちました。
昔、読んだ時は大したことないと思っていたのに、今、読み返したら、何でこんなに怖いんだろう…?
と言うか、市松人形が座っているだけのコマがどうしてこんなに不気味なんだろう…?
特に、人形が異形のものとなって跳びかかってくるシーン、焼け焦げた人形が襲ってくるシーンはヤバ過ぎです。(注1)
この禍々しさ、そんじょそこらの怪奇マンガの比ではありません。
また、併録の、ダウナーな「黄泉比良坂」、これまた「神経に障る」心理サスペンスの「星の素白き花束の…」もズバリ、名作揃いです。
ただし、人によっては心底ゲンナリする内容だと思いますので、お読みになる際は、御注意くださいませ。
・注1
以前、どこかで書きましたが、三十年ぐらい前、「あなたの知らない世界」か何かの番組で、顔が焼け焦げた人形が復讐する話しがあり、トラウマになってます。
その人形がどこまでも、どこまでも追ってきて、怖過ぎる!!…けど、ああ、もう一度、観てみたい。
2018年9月12日 ページ作成・執筆
2021年9月24日 加筆訂正