江戸川きよし「墓穴の少女」(220円)
月並みな諺ですが、『腹が減っては戦ができぬ』と申します。
わたくし、生まれつき燃費が悪い身体に加え、デスクワークと無縁な仕事に従事しておりますせいでしょうか、しょっちゅう腹が減ります。
因果なことに、何もしなくても、いつの間にやら腹が減っております。
皆様も、いろいろと経験があるとは思いますが、空腹というものはやはりつらいものです。
個人的な思い出話をさせていただきますと、育ち盛りの中学生の頃。(もう云十年前の話になるんですね…)
好意を持っていた女の子と、隣同士の席になっていた期間がありました。
ある日、その娘が教科書を忘れたというので机を引っ付き合わせて、教科書を共同で使用することになりました。
色気づき始めた年頃だったこともあり、恥ずかしながら告白すると、サイコーに幸せでしたね。
しかし、四時限目の授業だったためでしょうか、もっと栄養を!!と求める、発達途上の身体は、無遠慮なサイレンを発したのです。
授業中、突如、グ〜ッと鳴るお腹の音。
慌てふためいて、鳩尾(みぞおち)に右手を深くねじ込んで、音を止めようとしました。
何とか音は止まったものの、知らぬふりをする彼女に、顔から火が出る思いを抱きながら、何とか平静を装うと必死だった私…あの忸怩(じくじ)たる思い、いまだにリアルに覚えております。
まあ、これは空腹というより、お腹の音がもたらした災難だったかもしれませんので、この稿ではちょっと趣旨が異なったかもしれません。
ともかくも、人生には、ありとあらゆる苦難が万全の体制をもって整えられ、我々を待ち受けておりますが、その中でも『飢え』というものはかなりつらい拷問であります。
一食抜くだけでもかなりの苦痛なのに、これが数日、数週間、数ヶ月続いたり、下手すれば、一生のほとんどを満足にものを食べることができないようなことになれば、想像するだけで身の毛がよだつってものです。
と、相変わらず暗い話題に転びそうなところで、今回は、極限状況での『飢え』を扱った(のか?)マンガ、江戸川きよし「墓穴の少女」をご紹介いたします。
んで、ストーリーなんですが、くどくどと説明しても仕様のない、テキトーなものなので、こちらもテキトーに行きましょう。
まず、冒頭カラー。
何かに震えおののく女学生の上に、『mystory』の文字が…
ページをめくった瞬間に、スペルを間違ってます。
(本来は『mystery』のはず。まさか「私の物語」で『my・story』とか…?)
初っ端(しょっぱな)から、かなりテキトーですが、ストーリーのテキトーさはこの程度ではすみません。
冒頭の少女の名は、木下麻也。このマンガの主人公です。
学校の帰り道、幽霊を見た麻也は墓地に迷い込みます。
そこで去年亡くなったクラスメート高田喜美の卒塔婆につまずきます。
麻也の前に、現れる高田喜美の幽霊。
幽霊は卒塔婆をよく読むように言い、見てみると、麻也の名前になっていました。
『どうして?! 自分はまだ生きているわ』と抗議する麻也。
高田喜美の幽霊は、
「さあ、ここはあなたの墓穴よ。遠慮しないで入ってちょうだい。(中略)あなたのかわりにわたしが入れられていたんだわ。そのわけはあなたの心がごぞんじよ」
と言うと、深い穴へ麻也を突き落とすのでした。
翌日、墓地で高田喜美の墓石に下敷きになっているのを発見された麻也は病院に運ばれます。
ショックを深く受け、病院のベットでうわ言を口走る麻也。
それは、麻也の過去についてでした。
〜回想〜
麻也には、高田喜美というライバルがいました。(というか、麻也の方が、一方的にライバル視。)
学級委員の選挙で争い、間一髪で麻也が委員長の座を射止めますが、その日から高田喜美に対する敵意が高まっていきます。
高田喜美に自動車事故から救ってもらった時も、こけた時の怪我で逆恨みをする始末。
(正直、この主人公、根性が腐っております。非常に感情移入がしにくいキャラであります。)
そして、遠足の日。
一人、自由行動をしていた麻也は、滝つぼの崖に落ちかけている高田喜美を発見します。
助けを求める喜美を、麻也は冷たく撥ね付けます。
「私は人に力をかりるのがきらいよ。だから、人にもかさない主義なの、あしからずね」
と、言い捨て、その場から立ち去る麻也。
麻也の背後に追いすがるように聞こえる絶叫。
意識を取り戻した麻也は、病院でも高田喜美の幽霊を目にして、自分の家までとんで帰ります。
取り乱す麻也を母親は精神安定剤で眠らせます。
その夜、サーベルタイガーのような牙を生やした、毛むくじゃらの化け物がベッドの麻也に襲い掛かってきます。
窓をぶち破って、逃げる麻也ですが、いろいろあって限界だったのか、「もうたくさんよ。こんなに苦しめられるなら、死んだ方がいい」とつぶやきます。
そこに、間髪いれず現れる高田喜美の幽霊。
「そう……それなら死なせてあげるわ」と、麻也を墓地の納棺堂に案内します。
そのまま、麻也は納棺堂に閉じ込められてしまいます。
やっぱり死にたくはないので、脱出しようと、麻也は床の土を素手で掘り始めます。
外へ出たい執念一つで、一介の女学生とは考えられないパワーで穴を掘り進んで、ようやく外に出られたと思いきや…
…そこは、隣の霊安室なのでした。
と言うか、どうやって霊安室のコンクリートの壁をぶち抜いたのかが謎ですが、恐らく火事場の馬鹿力というやつでしょう。
外に出られなかったことにショックを受け、一時意識を失っていた麻也ですが、目を覚ました時、ものすごい空腹感に苛まされます。
「ああ、何かたべるものがほしい」と独りごちる麻也。
「たべるものが…たべるものが…」と呟く間に、いつの間にやら牙が生え始めてます。
キラと怪しい光りを浮かべる、その眼差しは、まさに血に飢えた野獣(と言いたいところですが、あの画力だと、目当ての下着を視界に捉えた下着泥棒の方が近いかもしれません。)
そこに、何やら食べ物のにおいが…。
においは、(嫌な予感の通り)、どうやら霊安室に安置してある棺から漂っているようです。
手始めに、棺の上に置いてある、献花をムシャムシャ食べ始めます。
次に、棺の蓋を開け、以下、どうしても気になる方は、ここをクリック→@A
たっぷりと腹ごしらえを済まし、舌なめずりしたコマの次では、早やクールな表情を浮かべ、脱出の方法を考える麻也。
しかし、次のページで、
「ええっと、ドアは……あらっ、かぎのかけ忘れだわっ」
という理由で、あっさり脱出できてしまうのでした。(人をナメとんのか?!)
急いで家へと向う麻也ですが、家の玄関には「忌中」の張り紙がしてあります。
しかも、葬式の真っ最中。
麻也は、父母やお坊さんに話しかけますが、誰も麻也に気づいてくれません。
そこで、棺の蓋を開けてみると、そこに横たわっていたのは、麻也自身でした。
恐慌状態に陥り、
「私は生きてるの? 死んでるの?」
と、家を跳び出します。
実は、以上は全て夢であって、道路にとび出た麻也は自動車に跳ねられてしまうのでした。
いきなりベッドからとび出し、外に駆け出した麻也を追い、事故を目撃する両親。
涙ながらに、「あの子は夢と現実の区別がつかなくなっていたんだわ」と話す母親。
しかし、麻也のベッドには、喰い荒らされた人間の片腕が転がっていたのでした。
そして、父親は勿体つけた思案顔で、こう呟きます。
「はたして麻也の行動は夢だったのだろうか
それともミステリーゾーンの幻想を超越した現実の中で行動していたのではないか?」
今ひとつ意味のわからない台詞に追い討ちをかけるように、
「しかし、この話は麻也が死んでしまった今、だれひとり知ることはできないのだ云々」(そりゃ、そ〜だ。)
おしまい」
如何でしたでしょうか?
正直な話、主人公の豪快な食べっぷりしか印象に残らないと思います。
ぶっちゃけ、そこ以外に、見所はないと断言させていただきます。
でも、何の躊躇もなく、あそこまでがっつりおいしくいただいちゃうと、それはそれで爽快というものです。
カニバリズム(人肉嗜食)という「人類最大のタブー」の一つを、堂々たる「食いしん坊万歳!!」として見せるあたりに、作者の並々ならぬ手腕が感じられますね。(ウソです。)
カニバリズムを扱ったものは、題材の性質故か、陰惨な印象を与える作品が多いですが、その中でも異色の一編でありましょう。
その理由ですが、徹底した唯物思想にありそうな気がします。
グロい話で恐縮なのですが、遭難や飢饉等の、人肉を食べざるを得ないような状況下では普通、多少なりとも罪悪感なり心理的な抵抗なり、嫌悪というものがあるはずなんです。
(この稿では、人肉を食べる風習があるといった文化人類学的なものや、死体の一部を食べることによって相手と一体化するといった変態性欲的なものは除きます。
そういうものを知りたい方は、『マジソンズ博覧会』という凄過ぎるサイトの「殺人博物館」を御覧になってください。世界には、想像を絶する健啖家がごまんといることを思い知らされます。)
やはり人間としての「最後の一線」というべきものがあって、それを踏み越えるには悲愴な決意が要求されると思います。
でも、本書の麻也は
「お腹がすいて死にそう」→「何か食べるもの」→「(人の)肉」→「お腹いっぱい」
と言った感じで、微塵も躊躇い(ためら・い)というものを感じさせません。
人肉だろうが何だろうが、肉は「肉」!! 上手い不味いはあっても、食べものに違いはありません。
下手に責めたら、
「人間は死んだら、ゴミになるのよ!! ゴミよ、ゴミ!! それをどうこうしたからって、何がいけないワケ?! 第一、私はお腹が空いて死にそうだったのよ!! あんた、私に餓死しろとでも言いたいの!!…(鬱陶しいので、以下略)」
と逆ギレされそうなオーラさえあります。
そう、人間死ねば、残るは単なる抜け殻。放っておけば腐るだけの肉であると言われれば、その通り。
そんな風にはっきりと割り切ることができれば、後には、椅子やテーブル以外の足があるものを食べるという中国人顔負けの美食家への道が、そして、将来的には、『ソイレント・グリーン』な未来が待ち受けておりましょう。
いやはや…読後感は一言『HUNGRY?!』(by日清)
これを読んで、食欲が全く失せるか、ごはんが〜ごはんが〜ススムくんになるかで、その人の本性というものが明らかになるでしょう。
ちなみに、わたくしは…
皆さん、機会があれば、また焼肉でも食べに行きたいですね。
(この稿を書いていて、大阪にいた頃、Yさん、Fさん、Wさん(今は…)と、石橋にあった「小倉優子」とかいう焼肉屋に行ったことをふと思い出しました。今となっては、全てが懐かしいです…。)
・備考
ビニールカバー貼り付け。糸綴じあり。
2012年2月25日〜29日 執筆
2016年2月27日 ページ作成・推敲