阿木二郎「恐怖が今日わ」(200円)



「ハイキングの途中、急な雨に見舞われた、文学サークルの女学生が四人。
 彼女達は無人の山小屋を見つけ、そこに雨宿りをする。
 雨の勢いが衰える気配はなく、四人は次の同人誌のために、スリラーものの構想を練ることにする。
 一人、二人と身のまわりであった、不思議かつ不気味な話をしているうちに、山小屋の戸を叩く音が聞こえる。
 戸を向こうには、びしょ濡れの若い女性が立っていて、彼女はかくまってくれるよう助けを求める。
 彼女は小出涼子という名で、双生児の妹、寿美子に殺されると言う。
 涼子の話によると、小出涼子と寿美子は瓜二つの双生児であったが、互いに心の底から憎み合っていた。
 しかも、双生児のせいか、不思議な共感性があり、一方が苦痛を味わうと、もう片方も同程度の苦痛を味わい、また、考えることさえももう一方に伝わってしまう。
 互いに忌み嫌いながらも、心も身体も同じであることが二人には耐えられないほど、つらい。
 ある日、妹の寿美子が佐伯良二という青年と知り合う。
 姉の涼子は、良二を妹から奪わんがため、「共感性」を利用して、妹をキチガイに思わせる。
 しかし、涼子が良二と仲よくなったのも束の間、妹の寿美子も同じようにして、涼子に復讐する。
 憎み合う双生児の恋の行方は…?」

 なかなか面白いと思います。(ただ、あまり期待されても、困りますが…。)
 「オムニバス」形式をとっておりますが、「双生児」の話がメインであります。
 あとがきで、阿木二郎先生はテレビでザ・ピーナッツが「双生児だから同じ人を好きになるかもしれない」と話したのをヒントにして、描いたと旨、述べております。(まあ、小説か映画からの影響も大きいとは思います。)
 「双生児」を扱った作品は幻想的なものが多々ありますが、やはり「分身」テーマに通じるからでありましょう。(注1)
 「私」と「もう一人の私」の間のほんのわずかな違いの中に、深く果てしない真っ暗な深淵が覗かれてしまうこと。「私」が「もう一人の私」を理解することは決してないであろうこと。ここに「分身」/「双生児」テーマの核(コア)があるように、私は考えております。(薄っぺらな意見で申し訳ない。まだまだ勉強不足です。)
 ただ、これとても、絵になるのは、「双生児」が美男美女である場合に限られるかも。
 現実問題、私と身体から心まで同じ野郎がいたとしたら、スリラーと言うよりも、激しく殴り合い…互いに息果てるまで殴り合いになることは確実です。(不毛ですね。)

・注1
 ダイアン・アーバス(米/1923〜1971)という女性の写真家が遺した写真に「一卵性双生児」(だったか?)という有名な作品があります。
 モノクロ写真に写る、二人の双生児の少女、顔かたちは一緒なのに、一人ははにかむように微笑んで、もう片方はツンと澄ました感じ…この差異が作り出す奇妙さにつくづく見入ってしまう不思議な写真です。
 ダイアン・アーバスの写真集、何とかして手に入れたいところです。

・備考
 ビニールカバー剥がしのためか、袖が欠損かつ破れ。。巻末に貸出票剥がし痕あり。本文、目立つシミ多し。p4、落書きあり(英文タイトルの綴りを訂正。あえて触れていませんが、阿木二郎先生の貸本マンガでは英語が使われることがありますが、大抵、何らかのスペル・ミスがあります…)。



2016年5月24日 ページ作成・執筆

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