五島慎太郎「血を呼ぶ狼男」(1973年9月25日発行)



「満月の夜。
 帰りが遅くなったジゼールは、墓場で何者かが死体を暴いているのを目撃する。
 死体を貪り食っていたのは、見た目は狼であったが、人間のように上着とズボンを身につけていた。
 それはジゼールに襲いかかってくるが、墓守がその場に駆け付けて、狼を退散させる。
 しかし、家に帰ったジゼルが目にしたのは、無残に食い殺された両親であった。
 ジゼールの悲鳴を聞いた墓守により、ジーゼルはまたもや助けられるが、狼には逃げられてしまうのだった。
 孤児になったジーゼルを、慈善家として有名なオスカール・ランジェランとが引き取ろうと申し出る。
 オスカールの姉であるセリーヌの勧めもあり、彼の屋敷でジーゼルは暮らすことになる。
 屋敷には、ジーゼルと同じ年頃のアンドレもいるという話なのだが、病気のため、三階の奥の部屋に隔離されていた。
 小間使いのニコルによると、それはワーウルフ病という伝染病で、生臭い臭いがして、生肉しか食べないのだと言う。
 その夜、悪夢で目を覚ましたジーゼルは、何者かがドアを引っ掻き、ドアノブを回そうとしているのに気が付く。
 その何者かが立ち去った後、ジーゼルは様子を見に廊下に出ると、アンドレの部屋のドアが開いたままであった。
 確かめようと三階に上がろうとした時、階下から悲鳴が聞こえてくる。
 駆け付けると、首を切断されたニコルと、その血をすする狼の姿があった。
 狼は姿を消し、立ちすくむジーゼルのもとに、セリーヌとオスカールがやって来る。
 オスカール・ランジェランは顔色を変え、突如、アンドレの部屋につかつかと入ると、閉じたドアの向こうから鞭で打ちすえる音が鳴り響くのだった。
 このような奇妙な出来事が幾つもジーゼルの身に起こるが、ある日、アンドレの病気が治ったと、オスカールから知らされる。
 そして、ジーゼルは初めてアンドレに会うが、彼は礼儀正しい、金髪の美少年であった。
 ジーゼルとアンドレは互いに心惹かれていくのだが…」

 狼男をテーマにした怪奇マンガって多そうで、あまりないように思います。
(個人的に、思いつくものと言えば、ケン月影先生の「狼男だよ」(平井和正・原作)ぐらいでしょうか? これも怪奇マンガかと問われれば、ビミョ〜。)
 理由は様々だと思います。
 まず、吸血鬼やフランケンシュタインと較べて、映画の数が少ないこと。(シリーズ化されず、単発的な映画ばかりです。)
 狼男というモンスターが日本の「風土」にうまく馴染まなかったこと。(注1)
 そして、最も重要な理由が、「作画的に手間だから」でないでしょうか?
 五島慎太郎先生は、頑張って狼男(ロン・チャニ―・Jr風?)を描いておりますが、ところどころ、白目がいやらしい毛深い変質者みたいになっておりまして、やはり面倒だったものと思われます。
 あと、この作品、陰湿な残酷シーンがやけに多いです。
 墓場で女性の腹を引き裂いて、内臓を貪り食うシーン等、内臓をどばっと見せる描写が目立ちます。
 この時代の怪奇映画だったら、「悪魔のはらわた」(1973年/日本公開1974年)や「悪魔の墓場」(1974年/日本公開1975年)が内臓をスクリーンいっぱいに見せつけておりましたが、時代的に映画の影響を受けたものではありません。
 もしかしたら、日野日出志先生の「地獄の子守唄」の影響を受けたのではないか、と考えているのですが…。
(ただ、あくまでも推測でしかありませんので、あしからず。)

・注1
 かなり憶測が入ってますので、見当違いな意見かもしれません。
 単に、映画による影響が乏しく、一般への浸透が遅れただけの話かもしれません。
 しかし、吸血鬼や人造人間に較べて、ヨーロッパ的なモンスターであるように思います。

2016年1月18・19日 ページ作成・執筆

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