望月みさお「怪談人間猫」(220円)

 五年も前に「mixi」にて知り合い相手(注1)に発表した文章がメモ帳に残されておりましたので、多少の加筆訂正を施し、掲載してみることにしました。
 普段と雰囲気が異なると思いますが、そのあたりの事情を踏まえて、読んでいただけると幸いです。

 手元に、ケイブンシャの大百科「ゲゲゲの鬼太郎大百科」(平成8年9月12日初版)という本がありまして、1996年版のアニメ「ゲゲゲの鬼太郎」について扱ったものであります。
 その当時、大学生だった私には未見で、存在自体知りませんでした。主題歌を憂歌団が歌っていたとは…。
 それを読んでおりますと、鬼太郎の仲間たちを紹介したページでふと違和感を感じました。
 ねこ娘を紹介しているページ(p45)なのですが、「鬼太郎のガールフレンド」と紹介されていたのです。
 そりゃガールフレンドといえば、ガールフレンドには違いありませんが(注2)、私見から言わせてもらうと、(少女漫画でよく問題になる)「恋人未満友達以上」という意味での「ガールフレンド」。「恋人未満」だなんて形容をつけて、何やら甘酸っぱい雰囲気を漂わせておりますが、言葉の意味するところは、ぶっちゃけ「いいお友達」でしかありません。
 思えば、原作マンガでの出番は砂かけ婆や子泣き爺に比べて圧倒的に少ないし、たまに出演しても、尋常小学校を髣髴させる服装におかっぱ頭、オシャレのつもりかちっとも似合ってないリボン、水木しげるタッチののっぺりとした顔に低い鼻、興奮すると口の両端が耳元まで裂け、牙をむき出して、生魚を丸かじりすると言う、色気も何もないキャラでありました。
 一応、鬼太郎の友達だけど、どちらかというと単なる数合わせ的な存在でありまして、ネズミ男に対するキャラとして登場させたが、ネズミ男と張り合うほどの個性がなかった為、かすれてしまったという印象を抱いております。(個人の感想です。)
 それなのに、砂かけ婆や子泣き爺を差し置いて、目玉のおやじの次に紹介されておりました。
 何という「出世」でありましょう!!
 白黒のアニメ版は未見なので何とも言えませんが、70年代のアニメ版では、ねこ娘の大した出番はなかったはずです。(あっても、原作に忠実に沿った顔をしておりまして、あくまで妖怪どもの一員だったような気がしますが、一度確認しておく必要があるでしょう。)
 そして、小学生時代の私が本気で観ていた1980年代半ばのアニメでは、天童ゆめこという人間の少女が鬼太郎の「ガールフレンド」でありました。一応、位置づけとしては、ネコ娘は天童ゆめことライバルだったのかもしれませんが、正直なところ、天童ゆめこの一人勝ちだったような気がします。
 そんな状況下でも、苦節約三十年、耽々と機会を窺い、ついに鬼太郎の「ガールフレンド」の座を勝ち取ったネコ娘。
 そして、近作では、萌えキャラにまでなってしまい、鬼太郎の「ガールフレンド」としての座を不動のものとしてしまいました。
 アニメ版「ゲゲゲの鬼太郎」の歴史は、ネコ娘が鬼太郎を『GET』する過程でもあるのだなあ…と今日も相変わらず妄想を逞しくしておる次第であります。

 んで、今回の話題は、「ネコ娘」→「化け猫」なのでございます。
 やはり、猫と物の怪とは相性がいいようで、様々なタイプの作品がありますが、今回は、人情ものなのです。

 以下、内容です。
「主人公の船田たえ子は、父親に先立たれ、唯一の肉親である母親は癌で入院中という、独りぼっちの少女。
 友達の船山みずえは気を遣ってくれますが、たえ子の心の支えは、愛猫のミーのみ。
 そんな中、たえ子の母親が危篤状態におちいります。
 片山看護婦は、たえ子に母親の危篤を知らせることを、変なポーズをとりながら、ためらいます。
 そんなポーズをとっている間に、たえ子の母親は亡くなってしまいました。
 母親の死を見取った、片山看護婦は、たえ子に母の死を伝えようとしますが、たえ子の悲しむ姿を考えてしまい、逆に「お母さんは元気よ」なんて言ってしまいます。
 たえ子のいない間に、思い余って、片山看護婦はミーに本当のことを話します。
 ふいといなくなるミー。
「やっぱり畜生には人間の心が通じないのね」と何気にひどいことを思う片山看護婦。
 そしたら、亡くなったはずの母親が二人の目の前に姿を現しました。
 大喜びするたえ子と、幽霊だと思い真っ青になる片山看護婦。
 母親は「様子を見に病院から戻ってきた」と言います。
 察しのいい片山看護婦は、ミーが母親に化けたことを見抜き、猫の母親と口裏を合わせます。
 読者サービスなのかどうか知りませんが、母親とお風呂に入ろうと言い出すたえ子。
 ちょっぴりロリな入浴シーン。(と、ここで疑問なのですが、母親に化けているのに、服は着脱可能なのでしょうか?)
 ところが、お風呂から上がった時に、湯船に大量の猫の毛が浮いていたのでした。
 ミーがお風呂場で毛を抜いていたことにして、その場は収まります。
 病院に戻る時、片山看護婦はミーに、母親の姿でいて、たえ子を慰めるように強引に説得します。

 母親は退院し、家に帰ってきました。
 もちろん、母親にミーが化けているのですが、たえ子は母親に違和感を持ち、距離を置くようになります。
 その事を苦にするミー。
 ミーは片山看護婦に心の悩みを訴え、片山看護婦はたえ子に本当のことを伝える決心をします。
 しかし、片山看護婦の了解を得て、ミーが猫の姿に戻った時(下の左端の画像を参照のこと)に、たえ子がひき逃げに遭ったという知らせが!!
 病床では、たえ子が母親を呼んでおります。
 片山看護婦の頼みに応え、ミーは再び母親に化けるのでした。(下の左から二番目の画像を参照のこと)

 ミーはまた母親に化け、たえ子をひき逃げした犯人を捜しに出かけます。
 犬のように嗅覚を頼りに、犯人の居場所を突き止めます。(猫が犬程、嗅覚に鋭いかどうか謎)
 ところが、ビミョーな面をしたどら息子は、ひき逃げがばれて、逆ギレ。
 女子供相手に、ビミョーな面をした犬をけしかけます。
 猫は犬に弱いと相場が決まっているのですが、母の一念は岩より固し。
 キッと相手を見据える、その目つき。まさに真剣士のものです。
 いつの間にやら、袖をからげて、戦闘準備は万全。
「カォー」と、千葉真一も真っ青の一撃で、犬を血祭りにあげます。
 更に、たくさんの犬をけしかけられますが、全て返り討ちにして、どら息子を警察へとしょっぴくのでした。

 ですが、このニュースを聞いて、たえ子はますます母親への不信感を強めます。
 追い討ちをかけるように、病院での立ち話から母親の死の噂を聞き、取り乱してしまいます。
 たえ子に問い詰められ、片山看護婦は、今の母親は本当の母親でないことを告げます。
 そのことにショックを受け、たえ子は涙ながらに走り去ってしまいまうのでした。

 母親の退院の予定日。
 母親の帰ってこない家で、たえ子はミーを抱き、涙に暮れます。
 そこに、片山看護婦が訪れ、たえ子の目の前に位牌と骨壷を差し出し、母親の死を告げます。
 嘆き悲しむたえ子に、片山看護婦は、自分も母がいないから、たえ子のお姉さんにしてほしい、と言います。
「でも、自分には昨日までお母さんが…」と訝るたえ子に、片山看護婦は全てを語る決心をします。
「ミー、お前から説明してあげるといいわ」という片山看護婦の言葉に、「ニャ〜ゴ〜」とバリバリ写植の返事をして、母親に変身するミー。
 どろどろ煙がたっている中、意外ともっちりした下半身がセクシー!!(下の右から二番目の画像を参照のこと)
 全てを察したたえ子は、片山看護婦にお礼を言い、ミーにもとに戻っていいと言います。(下の右端の画像を参照の事)
 この時の変身シーンがあまりに斬新で、この駄文を書く動機になっているのですが、最初に見た時の衝撃が皆様にどれ程、伝わりますやら。
(こんなの下手なだけじゃん、と言われりゃ、その通りです。否定はしません。)
 さて、その場に、たえ子の友達が母親の退院祝いに来ますが、母親は亡くなったとのニュースにしんみりしてしまいます。
 でも、たえ子は「わたし、お母さんが亡くなったけど、お姉さんができたの」と、片山看護婦の首筋に抱きついて、無理やりにハッピー・エンドとなるのでした。
 おしまい」

 話の内容自体は、そこそこオーソドックスなもので、奇を衒った(てら・った)ものではありません。
 飼い主の少女の為に、猫が人間に化けるという「恩返し」系の話なので、バリエーションはいくらでもつくられます。
 が、そこに、猫が人間に化けたのをあまり怪しまずに、たえ子のためだと化け猫に母親に化け続けろと、半ば恫喝する片山看護婦や、飼い主の少女のためとは言え、母親に化け続けることを苦悩する化け猫といった、どことなくズレたキャラクターが、物語に妙チクリンな趣を与えております。
 そして、あっさりし過ぎた絵柄で、逆に、異様さの際立つトランスフォーメーション!!



 化け猫ですから、もうちょっと「どろろんぱっ」とスマートに化けて欲しいところです。
 それが無理なら、せめて、せめて猫が可愛く描けていれば、まだ酌量の余地はあったかもしれません。
 ですが、上の左から二番目の画像を見てもらえれば納得していただけると思うのですが、どう見ても、猫と言うより、二重瞼整形を施したブルドッグというか、擬猫化した○○○・○○○クスというか、とにかく、面妖な風貌をしております。
 この猫が、どてらに腹巻、片手にワンカップ、くわえタバコは「エコー」、どす黒く日焼けした上に焼酎焼けした土方の親父にでも化ければ、大いに納得できるのですが、どろろんどろろんした煙とともに、すらりとした和服のマダム(未亡人かつ病身…何となく、よろめいてしまいそうですね)へと変身するのですから、別の意味でよろめいてしまいそうです。
 特に、左端の画像(p130)に関しては、人間から猫に戻っているというより、『怪奇!!モチ人間!!』といった風情で、肩から上でモチが膨れているようにしか見えないのですが、皆様はどうお感じでしょうか?
 詰まるところ、猫が可愛くないのが、問題なのですよね〜。
 もしかすると、これは『化け猫なんだから、これで充分なんだよ!!』という、作者からのメッセージなのかもしれません。
 とすると、表紙では黒猫なのに、最初のカラーページでは白猫、あとはページによって、白色になったり、黒色になったりしているのも、化け猫だから…
…というより、単に作者の画力の問題なんでしょうな。
 でも、この画力の抜け加減が絶妙で、陳腐な怪談話を飛び越えて、どこかつかみ所のない、ビミョ〜な印象を与える作品になっております。
 カルト化されるほどには華がなく、誰からも顧みられないマンガですが、個人的には「隠れた怪作」との評価を与えております。
 と、改めて言葉にしてみると、やはり褒め過ぎなような気がする…そんな困ったマンガです。

・注1
 私のヨタ話に辛抱強く付き合ってくれたMさん、お元気にしておりますか?

・注2
 ふと思ったのですが、皆に慕われてはいるように見えて、実は、鬼太郎は友達が少ないような気が…。

・備考
 ビニールカバー一部貼り付け。ビニールカバー剥がし痕ひどし。糸綴じあり。「名古屋マンガ図書館」のハンコ、本文や小口に幾つか押印。読み癖非常に激しい。シミ、痛み、汚れ、剥げ、切れ、多数のため、記載せず。前の遊び紙、欠損。

2012年3月29日〜4月1日 執筆
2017年11月30日 ページ作成・加筆訂正

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