森由岐子(注1)「悪女の笑う赤い部屋」(1967年春頃?(注2)/220円)

「受験戦争」という言葉がいつ頃から使われ始めたか、筆者の不勉強のせいでわかりません。(注3)
 恐らくは、日本が敗戦による混乱から立ち直り、高度成長期時代に突入したあたりからでしょう。
 1970年代には、立派に社会問題化してしまい、80年代には傷口から悪臭漂う膿を辺り構わず撒き散らしていました。
 確かに、一昔前は「受験」というものの重みが違っておりました。
 現在では、「いじめ」関連のニュースが絶えませんが、昔は、受験関連のトラブルのニュースが多かったように思います。
 そして、受験関連のトラブルを代表するような言葉が「受験ノイローゼ」。
 まさしく、「受験戦争」という言葉と表裏一体をなす言葉でありました。
 このマンガは「受験ノイローゼ」を正面切って取り上げた、最も初期の作品であると思います。

 詳細は以下の通りです。
「舞台は、とある町に一軒家を構える藤村家。
 父母と娘二人の核家族。
 二人の娘は姉が千栄子、妹がつぐみ。
 父親は万年係長の全く冴えない親父さん。
 それに引き換え、母親は、近所でも姑をいびり殺したと噂になるほどの気が強く、虚栄心が強いのでありました。

 母親の夢は千栄子を有名大学に入学させること。
 千栄子を始終勉強するよう急き立てます。(一方、つぐみは「(勉強が)さっぱりだから」という理由で、ネグレクト。)
 そればかりか、近所でも、娘の成績を自慢し、有名大学に行くように吹聴して、ますます千栄子はがんじがらめになります。
(11〜12ページの、母親と近所の奥さんとの会話を参考にしてください。
「近頃は豚肉がとても安くなったそうですわ」
「まあ、さようざんすか。少しも…何しろ宅は牛(ぎゅう)しか頂いておりませんから。(…)
 有名大学へ入学するつもりざんすから、今からスタミナつけて、今からスタミナつけなきゃいけませんざんすのよ…ホホホホ…(高笑い)」
 母親の性格を的確に描写した、素晴らしいシーンです。)

 千栄子は寸暇を惜しんで勉強に励みます。
 夜はほとんど寝ず、外出は学校の登下校のみという徹底したもの。
 しかし、いくら勉強しても、他にも頭のいい生徒はいますから、成績が下がることが気が気でありません。

 そして、夜の11時過ぎまで勉強に励む千栄子ですが、時計の秒針が刻む音が気になって、勉強に手がつかなくなります。
 時計を床に投げつけ、ようやく静かになったと思った矢先…今度は隣室での両親の話し声が気になって仕方がありません。
 隣室まで静かにするよう怒鳴り込む千栄子。
「会社から帰ってもゆっくりできないとはな」とぼやき、勉強勉強とうるさく言い過ぎるんではないかと言う父親に、母親は、
「この世では男でも女でも勉強しなければ、いい会社に入れませんのよ。
 高校しか出てないあなたが今だに出世しないのが、その証拠じゃないの。  万年係長であたし、恥ずかしいったらないわ…だから、私は千栄子に望みをかけてるのよ。
 どうしても有名大学に入れて、あっ…と云わせたいのよ」
 と、バリバリの本音トークを返すのでした。
 そこまで言われては、父親も協力せざるを得ません。

 さて、一学期最後の日。
 千栄子は、通信簿を受け取りますが、クラス順位が10位も下がっておりました。
 千栄子は、沈鬱な表情で帰途につきます。
 自分が東大なんかに入れるわけがないこと。
 しかし、母親がいたるところで東大に入るよう言いふらしていること。
 そして、東大に入れなかったら、それこそ物笑いの種になること。
 といったことを考えると、絶望的になるのでした。

 家に帰ると、予想通り、母親に叱られます。
 成績の下がった理由を「わからない」と答えても、母親は怠けたものとばかり考えております。
 夏休みの間に成績を取り戻すように言われ、母親の作った時間表通りに過ごさねばならなくなりました。
 千栄子の成績表を前に「近所の人にも恥ずかしくて話もできないわ…」と嘆息する母親を、さめた視線で見つめる千栄子。

 そういったわけで、ひたすら勉強に励む千栄子の耳に、お隣の赤ん坊の泣き声が聞こえてきます。
 泣き声に気が散って、勉強どころではありません。
 千栄子は母親に赤ん坊の泣き声をやめさせてと半ばヒステリックにわめきたてます。
 仕方なしに、母親はお隣に静かにしてくれるよう頼みに行きます。
 ようやく静かになると、千栄子の勉強がはかどります。
 が、今度は近所のテレビの音が気になり始め、母親はその家にテレビの音量を抑えるよう言いに行くのでありました。
 仕舞いには、妹のつぐみが隣で雑誌を読んでいると、ページをめくる音が耳障りと言うまでになります。
 鬼気迫る姉の表情に、つぐみは別の部屋に逃げ出します。
 夜遅く、母親がコーヒーを持ってきたことを告げても、「いちいち声をかけないで」と怒鳴りたてる千栄子を、母親は
「ほほほ、熱心だこと。あの調子だと今度は一番だわ」
 と、鼻高々なのでありました。

 長い夏休みが終わりました。
 久々に千栄子に会ったクラスメート達の目には、千栄子が変わったように映ります。
 千栄子はすっかり無口になり、クラスメートと打ち解けようとはしなくなりました。

 数日後、千栄子は担任の先生に呼ばれます。
 それは夏休みの宿題の絵のことでした。
 千栄子の描いた風景画はあらゆるものが真っ赤に塗られていたのでした。
 それだけではなく、先日の美術の時間に描かれた自画像も、髪の毛も、バックも真っ赤に彩られていたのです。
 担任は、千栄子の絵を「赤と黄色に統一されて燃えるようだ」と表現し、どうしてこういう絵を描くようになったのか、千栄子に問います。
「別に…ただ赤色が好きなだけです」と素っ気なく答える千栄子ですが、
「よく精神異常者がこんな色をつかうと云うけど…」という担任の何気ない(にしては、問題あり過ぎの)発言に、
「先生、私は気違いじゃありません」と血相を変えて、反論します。
「私は燃えるような情熱のほとばしる真紅が好きです。
 赤は太陽のエネルギーです…(注4)
 力があります…
 私はあこがれています。
 ですから、自然、赤をつかいたくなるのです」
 瞳孔の開いた眼に加え、握り拳つきで力説されては、先生としては何も言う事がありません。
 その日は、千栄子を帰すのでありました。

 秋はあっさり過ぎ去り、二学期の最後の日。
 帰途に就く千栄子の足取りは重いのでありました。
 今学期もまた成績が下がってしまったのです。
「これ以上、仕様のない程、勉強したのに、一体どうすれば成績があがるのかしら…」
 ママはなんと云うかしら…なんと云って怒るかしら…」
 と、母親の叱責を思い、途方に暮れる千栄子。

 案の定、千栄子は散々に叱られます。
「まあまあ、また下がるなんて。
 いいえ、努力が足りないのです。
…嘘おっしゃい。
 勉強して成績が下がるわけがないでしょう。
 こんなことでは大学へなんか
 恥ずかしいとは思いませんか
 なんという情けない子…
 さあ、勉強しなさい
 勉強しなさい
 勉強しなさい
 勉強しなさい…」
 自室で独りむせび泣く千栄子の頭に「勉強しなさい」の言葉がリフレインするのでした。

 夕食の席に姿を見せなかった千栄子を案じて、父親があんなにひどく叱ることはないじゃないかと母親を諭します。
 が、そんなものは鉄面皮に蚊が刺したようなもので、母親は相変わらずの繰言。
「あのくらい云わなければ…私の前ではさも勉強してるみたいにみせて…そうでもなければ下がるはずが…本当にしようのない子。
 とにかく東大に入学してもらわなきゃ。もし東大合格の時は私、近所に鼻が高いわ。
 ああ、なにがなんでも勉強してもらわなくちゃ、私が困るわ」
(昔のドラマやマンガに、こんな教育ママっていましたよね〜。今、見ると、ちょっと新鮮かも。)

 一方、部屋で、ベッドにうつ伏せて泣く千栄子。
 彼女の名前を呼ぶ声がが聞こえてきます。
 誰かと千栄子が問うと、
「私だよ。お祖母ちゃんだよ。(…)お前の母親にいじめ殺されたお祖母ちゃんだよ」
 という返事。
 声はまだまだ続きます。
「お前の母さんは悪い女だ。
 御飯もろくに食べさせてもらえず、病気になっても医者にも連れてってもらえず、弱りきって死んでしまったお祖母ちゃんだよ。
 寒い冬の間、火の気のない部屋で、こたつにも入れてもらえず、ふるえて泣いていた私を覚えているだろう」
「覚えているわ。
 あついお茶をのませて下さいと近所を歩いたことも、それから、病気になって働けなくなってからも洗濯してもらえず、汚れてボロボロになった寝まきのままで寝かされていたことも…
 朝から晩まで怒鳴りつけるママの声も皆んな覚えているわ」
「そう、お前のママは悪魔だ。
 今にお前も殺される 殺される。
 千栄子 もうすぐあの女がやってくる。
 お前を殺しにやってくる。
 やってくる。
 やってくる」
 すっかり千栄子の眼は怪しくなってしまっております。
(このコマに関しましては、澱んだ眼を描かせたら、右に出るものがいない高塚Q先生を超えた?と思います。)

 さて、母親は千栄子の様子を見に来ます。
 ノックしても返事がなく、部屋に入ると、中は真っ暗です。
 千栄子がどこにいったのかと訝る母親ですが、部屋の隅には、花瓶を頭上に両手で抱え持った千栄子の姿が…。
 千栄子は母親の頭めがけて花瓶を振り下ろしますが、母親は間一髪、それを避け、もみ合いになります。
 母親は花瓶を奪い取り、花瓶は床で砕けます。
 慌てて、父親を呼ぶ母親ですが、気がつくと、千栄子は放心状態で立っております。
 ふと我に返り、「私、どうしたのかしら…分からない…なんにも…私、なにをしたのか分からない」と、母親の胸でわっと泣き出します。
 父親がやって来ますが、なんでもない、と追い返し、母親は千栄子にどうしたのか尋ねます。
「それがお祖母ちゃんの事を考えていたら、ふと分からなくなってしまって」
 と目を伏せる千栄子ですが、母親は
「バカね。勉強の事を考えないで、そんなよそごとばかり考えるからよ
 お祖母ちゃんのことを考えるひまがあったら、英語の一つでも覚えなさい。
 さあ、勉強を始めなさい…夜は一時までどんなことがあってもするのよ」
 という言葉を見ればわかる通り、事態の深刻さをちっとも理解していないのでありました。

 ある雨の夜。
 降りしきる雨の立てる音が千栄子の神経を苛だたせます。
 堪(たま)りかねて、豪雨の中にとび出し、天に向かって「うるさい、うるさい(…)静かにして、静かにして」と喚き始めました。
 異変に気づき、母親が外に出てきました。
「ママ、うるさいの、雨の音がうるさいの(…)ママ、やめさせて、この音をやめさせて頂戴」
 と母親に泣きすがる千栄子。
 母親はどうしようもなく、とりあえずびしょ濡れの千栄子を中に入れるのでした。

 そういう事が続けば、近所の噂になるのも必然。
 しかも、娘だけでなく、「母子そろって気違いじみてるわ」とまで言われる始末。
 また、学校でも、千栄子の異常性は明らかになりつつありました。
 目の下にどす黒いクマをつくり、休憩時間、友達に遊びに誘われても、「遅れるわ、一分でも勉強しないと追いこされるわ」と机を離れようとせず、心配した担任の先生が話しかけても、「静かにしてください。一秒でも無駄口をききたくないのです」と無視します。
 事態を重く見た担任の先生は、母親と面談します。
 千栄子がノイローゼではないか、という先生に、千栄子は少しもおかしくありません、と反論する母親。
 親に正常だと断言されれば、第三者たる先生にはそれ以上のことは言えません。
「しかしですね、あまり教育ママになっても、子供にとっては」と、なお話をしようとしますが、母親は『教育ママ』という言葉に敏感に反応。
「先生、千栄子の事は母親のこの私にまかせて下さい。あの子の事は私が一番理解しています。」
 問答無用とばかり、話を打ち切ってしまうのでした。

 先生との面談があった日、母親は千栄子に、先生に千栄子がノイローゼだと侮辱を受けたと言います。
 だから、先生を見返すために、いい成績をとって、見事大学をパスするよう、説得します。
 千栄子は一生懸命勉強する代わりに、部屋を赤い色に模様がえするよう頼みます。
「私、赤い燃えるような色が好きなの(…)不思議と心が落ちつくのよ。ねえ、お願い…」
 千栄子の希望とあり、天井も壁も真っ赤に塗られるのでした。

 その真っ赤な部屋で、独り、うつろに立つ千栄子。
 そんな千栄子にまた祖母の声が聞こえます。
「千栄子や お前はお母さんに殺される。
 学問という地獄につきおとそうとしている。」
「そうだ、ママは私を殺そうとしている。
 私はママに殺される 殺される。
 この部屋は血の色…私は血にそまって死ぬ…ここは私の墓場…
 でも、私は殺されない。
 死ぬのはイヤ
 死ぬのはイヤ」
 そこへ母親が紅茶を持って来ます。
 何も知らない母親がドアを開けると、花瓶を振り上げた千栄子の姿。
 花瓶は母親の額を直撃して、「たら たら」と血が流れ、「ぐら」と倒れ伏します。
「ほほほほ やったわ やったわ
 これで私も殺されずにすむ…」
 と、やつれた笑みを浮かべる千栄子ですが、母親は徐々に意識を取り戻します。
 血にまみれた顔で「ち、千栄子…」と力なく呼びかける母親。
「まだ生きている…
 まだ生きて、私をにらんでいる」
 とどめを刺そうと、再び花瓶を握り締める千栄子ですが、母親に振り下ろす前に、妹のつぐみが千栄子にしがみつきます。
「はなして はなして 殺しておかなければ、私が殺されるの 殺されるのよ」
 つぐみの制止の間に、母親は命からがら逃げ出すのでした。

 病院から隠れるように出てくる母親。
 頭には厚く包帯が巻きつけられております。
 背後から、近所の奥さん達から声をかけられ、ちょっと狼狽気味。
 頭の怪我について尋ねられ、「いえ、あの、ちょっと」と言葉を濁す母親。
 次いで、千栄子の姿が最近見えないことを尋ねられ、今、親戚の所にいると答えます。
「私達は千栄子さんが東大に入学するまでは…と、テレビも気をつけてひくくし」
「赤ちゃんが泣いても外に連れ出す程、気をつかってんざんすから、きっとパスするだろうと楽しみにしてますの。
 こうして近所中、気をつけてますざんすからね。きっと入学できるに違いありませんわ…」
 云々と猛烈な嫌味を言われ、平静を装いながらも、逃げるようにその場を立ち去るのでありました。

 さて、千栄子はというと…
 鉄格子の中。
 何故かは知りませんが、この家には鉄格子付きの部屋があるのです。(注5)
 鉄格子の中で、千栄子は全く放心状態。
 母親が英語の参考書を差し出しても、参考書を母親に投げ返し、憎悪のこもった目つきでにらみつけます。
 千栄子の「病気」は治らないかもしれない、しかし、それでは、自分が近所の笑いものになる…
 そこで、妹のつぐみにわずかな期待をかける母親ですが、姉の成れの果てを見ているつぐみは断固拒否。
 しつこい母親の説得に耐えかね、つぐみは家出をして、友達の家に転がり込みます。

 つぐみはどうあがいても見込みはない…
 母親としては、どうしても千栄子に回復してもらわなくてはなりません。
「うちの血統には精神異状者は一人もいないんだから、きっとなおるはず」
 と、千栄子のもとにスープを持っていきます。
 しかし、鉄格子の鍵が外れており、千栄子が奇妙な笑い声をたてながら、出てきます。
 千栄子は、母親を鉄格子の中に押し込み、鍵をかけました。
 母親を置きざりにして、その場から立ち去る千栄子。
「ほほほほ 赤い色… 火の色… 燃える色…」
 千栄子は、ゴミを集めて、それにマッチの火をつけます。
 火はたちまち燃え広がり、火を見つめ、「ほほほほ 燃える 燃える」と満足気な笑みを浮かべる千栄子。
 立ち込める煙に、母親は助けを求めますが、鉄格子は開きません。
 そのうちに、母親に火が迫ってきました。

 友人の家に転がり込んだつぐみを、父親が心配して、迎えに来ます。
 つぐみと父親が家に帰る途中、火事だという声が聞こえます。
 見ると、自分の家のある方角。
 駆けつけると、我が家が「ぼう ぼう ぼう」と盛んに燃えております。
 あまりの火勢に家には近づけず、母親と千栄子を二人は呼びます。
 つぐみがふと横を向くと、見物人に混じって、姉の千栄子が立って、火事を見つめております。
 驚き、千栄子のもとに駆け寄る父娘。
 千栄子は正気に戻っておりました。
 父親は千栄子に母親の安否を尋ねますが、千栄子は何も覚えておりません。
 そして、家は焼け落ちてしまいました。

 エピローグ。
『焼けあとから、母親の焼死体が見つかった…
 そして、教育ママのあわれな一生は終わった…
 母親がいなくなった家庭なのに、アパート住まいの藤村一家は意外と明るかった…
 いま、千栄子はある会社へ就職している…
 大学は出ていないが仲々頭の切れる、将来有望な社員として期待されているとか…』

 そして、作者の後書き。
『よく新聞、雑誌などで教育ママの悲劇が書かれてありますが…
 私の近所でもあまり厳しく教育を強いた為、自殺したり、狂人になったりした子供があります。
 勉強も大切ですが、それが重荷になりすぎては困ります。
 この物語は私が住んでいる町で実際に起きた出来事を、ヒントにしたものです。』
 おわり」

 タイトルだけを見たら、悪女もののサスペンスかと思いきや、中身はばりばりのサイコものです。
 主人公の置かれた状況、教育ママをはじめとする家族の人物像等、丁寧な描写を積み重ねており、非常に説得力があります。
 特に、教育ママのセリフに関しては、目を見張るものもあります。
 こんな嫌味ったらしい、見栄っ張りの女性は、やはり女性にしか描けないものかもしれません。
 それにしても、昔から気取ったご婦人は「〜ざます」って言っていたんですね…。

 そして、この作品のキー・ワードはタイトルにも使われておりますように、「赤色」であります。
 少し長くなりますが(もう充分長いけど)、野村順一「色の秘密」より引用させていただきます。(文春文庫PLUS/2005年7月10日第一刷/pp85〜86)
「一般に好まれる色は赤と青である。
 自然のままでも意図的であっても、外向性の人は赤を好み、内向性の人は青を好む。(…)
 なによりも赤を好む人は、関心事に対して内向せず、敢然と向かっていく。(…)
 目だつ特徴として、感情的起伏が激しく、少しでも苦労の種があると、他人や世間のせいにする。(…)
 赤はまた体力、健康、生命力の色である。赤を好む人は外向性、積極性、精力旺盛で衝動的であるといったが、そうなりたいと思う人も赤を好む。(…)
 なお、赤の使いすぎは平衡失調(imbalance)の徴候である。
 もしほんとうに赤が嫌いなら、かなり通俗的で欲求不満な人である。(…)
 この種の人びとは精神的な抑圧感を強く持ち、おそらく体ではわからないが、心が病んでいるものとみなされる。
 つまり、生命力の赤を嫌う人たちは、心身ともに疲労困憊している現れである。」
 この本によりますと、赤は暖色系の色の一つで、「太陽や火を暗示するので、心理的に暖かさを感じさせる」(p41)ものであり、「アクションを強制する色」(p58)だということです。
 また、「青は私たちを弛緩させ、赤は緊張させる」(p246)ともあります。

 以上を踏まえて、簡単(というか稚拙)ながらも、この作品を解説します。
「千栄子は、母親をはじめとする周囲からのプレッシャーから、自分を受験勉強に追い込むために、生命力の色たる「赤色」に耽溺しようとします。
 しかし、「赤色」のもたらす、絶え間のない緊張にたえられず、神経衰弱が高じて、廃人状態になります。
 最後は、自らを解放するため、「浄火」の「赤色」によって、全てを浄化(もしくは、破壊)するのでありました。」

 こう見ると、うまく「赤色」をストーリーの中心に据えておりまして、なかなかの傑作であると個人的には考えております。
 普通の一軒家に鉄格子付きの部屋等、突っ込みどころもあることはあるのですが、それを考慮に入れても、当時の貸本マンガの中でかなりの高レベルではないでしょうか。
 ただし、雑誌のように多くの人の目に触れるようなメディアでなく、言葉通りに「読み捨て」という貸本マンガというメディアで発表されたために、完全に埋もれてしまったようです。
 そして、今や、時代は移り変わりました。
 少子化に伴う大学進学率の上昇に加え、学歴社会がひっそりと崩壊してしまったため、「受験戦争」という言葉は徐々に死語になりつつあるように思います。
(とは言うものの、私のように何十年も昔のことであれば他人事で済みますけれど、その渦中に身を置いている、思春期真っ只中のティーンエージャー達にとっては、今尚、切実な「人生の大問題」なのでありましょう。)
「受験ノイローゼ」はとっくに死語の仲間入りをして、放課後に校舎の屋上から飛び降りたり、就寝中の両親をバットで撲殺するような事件も耳目を騒がさなくなりました。
 その代わりに、どこの学校を出ようが、どこの会社に入ろうが、「一寸先は闇」な社会となってしまいました。
 でも、私はこう思うのです…「何とかなる。何とかならない時は、腹をくくって、くたばるだけ」と。
「一寸先は闇」の社会が、出た大学や入った会社で未来が決まる社会よりも、いいのか悪いのか、判断に苦しむのであります。
 そして、こんな時代だからこそ、フランク・ザッパの、この言葉が生きてくると思います。
『もし、おたくに多少なりともガッツがあるんなら、学校のことなんか忘れてさ、図書館に行って、自分自身を教育しろよ』(かなり意訳)(注6)
 こういう時代だからこそ、自分で考え、アクションを起こしていかねばなりません。
 この情報社会、自分を「教育」する方法はいくらでもあります。
 そんな社会をどう感じるか、最終的には個人の資質にかかってくるのでしょうが、私は徒手空拳(としゅくうけん)を覚悟の上で、最期まであがいてみたいと思うのです。
 さっさとくたばるのが、一番スマートかもしれませんがね。

・注1
 森由岐子先生は、唐沢俊一&ソルボンヌ景子『伝説の少女マンガ・シリーズ@ 森由岐子の世界』(白夜書房/1994年4月10日初版発行)で紹介され、一部のスキモノの間で有名になりました。
 この本では天下の怪作『魔怪わらべ 恐怖の家』をはじめ、突っ込みどころ満載の作品を、コマの外にコメントを書き込みながら、紹介しておりまして、かなり笑えることは確かであります。
 ただし、大きな問題がありました。
 それは、森由岐子先生のマンガを、突っ込みどころ満載のズレたマンガという先入観を世間一般に与えてしまったこと。
 唐沢俊一氏は、往年の怪奇マンガをギャグとして捉えるという手法で、いくつかの作品を物しております。
 しかし、いまだにレディース・コミックに作品を発表している森由岐子先生のように半世紀に近いキャリアを持つ漫画家さんからすれば、一部の作品をもって自己のイメージを貶められたように思ったに違いありません。
(これほどのキャリアを持つ先生は、御大わたなべまさこ先生を除き、私の知る限り、現役でバリバリやっているのは、高階良子先生ぐらいのものです。)
 かくして、『森由岐子の世界』は、森由岐子先生サイドからの抗議により、絶版となってしまったと、聞いております。

 それはそれで仕方のないことなのかもしれませんが,『伝説の少女マンガ・シリーズ』がこれだけで終わってしまったことがかえすがえすも残念です。
 第二弾は誰だったのか?…考えるだけで、ゾクゾクしてきませんか?

・注2
 何故、発行年月日を「1967年春頃?」としたかといいますと…
 この本には「オール怪談77」の広告が載っております。
 ひばり書房の「オール怪談」シリーズは当時、毎月出ていた大ヒットシリーズでありまして、80号ぐらい出ているというマニア泣かせのブツであります。
(コンプリートは常人にはまず、不可能です!! ちなみに、ひばり書房は「つばめ出版」という変名で「怪談」シリーズをまた100号ぐらい出しております。ああ〜、もう勘弁してくれ!!)
 手持ちの「オール怪談79」が恐らく、1967年8月発行なので、「悪女が笑う赤い部屋」は、その二ヶ月前ぐらいの発行だったのではないか?と推測するのであります。

 ちなみに、なぜ「オール怪談79」が1967年8月発行とわかるのかと言いますと、この本には、山上たつひこ(『がきデカ』の作者)の大傑作『ヒロシマ1967』が収録されており、その最後のコマに「1967年7月14日完」と記されているからなのであります。
 このようにして、一つ一つ、謎を明らかにしていく…何てネクラな楽しみなのでしょう…。

  ・注3
「立身出世」という言葉が明治時代からあるように、日本が近代化を進めた時代から、学問を修めることは、出世への一つの道でありました。
 しかし、英国留学中に精神衰弱を起こした夏目漱石を例にとるまでもなく、「学問」をめぐるトラブルは多々あったのでしょう。
 ただし、それが一般的な社会問題と化したのは、戦後の高度成長期時代のようです。
 一流の大学を出て、一流の企業に就職し、一流の一生を送る…
 今から思うと、夢のような時代だったように思います。
「終身雇用」なんて甘っちょろい幻想はバブルを期にあっさり崩壊。
 どこもかしこも混迷を深め、今の我々はどこを向いても「混沌」に包囲され、少し背伸びをして彼方を窺っても、広がるはひたすら「闇」ばかり。
「お先DARKNESS」な我々に、神様よりありがたい励ましの言葉が賜れております。
〈人類はのろわれている。世界は決して終わることはないのだ〉(星新一「進化した猿たちA」(新潮文庫/1982年3月25日発行)p136より引用)
 何て粋な計らいなんだろう、コンチクショー!!

・注4
「太陽というのはあらゆる神のなかでいちばん残酷な神だ。」 G・K・チェスタトン「アポロの眼」(中村保男・訳『ブラウン神父の童心』東京創元社)より引用。

 ちなみに、チェスタトン(イギリス/1874〜1936)の『ブラウン神父』シリーズは探偵小説初期〜中期の作品(二十世紀初頭)でありながら、シャーロック・ホームズとは異なり、非常に「摩訶不思議」な内容になっております。
 何故「摩訶不思議」かと申しますと、これって「推理」小説ではないと、個人的には思うのです。
 地道な調査により、証拠云々を積み重ねて…というのが一切なく、人間をその深淵まで観察することによって生まれる「直観」で全て解決するのであります。
 その「直観」によってあぶり出される真実は「トリッキー」と言うより、「ファンタジー」の領域に達しております。
 そんな説明ではわからない、と言われるのは、百も承知。
 ご一読あれ…としか言いようがありません。(「アポロの眼」…傑作です!!)

・注5
 もしくは、業者に頼んで、部屋に鉄格子の扉をつけてもらったのかもしれません。
 が、そうする余裕があるのなら、プルーストのように、初めから、完全防音の部屋を作ればよかったのでは?
 まあ、後知恵とはそういうものです。

・注6
 The Mothers of Invention『FREAK OUT』(1965 BMI/1985 Barking Pumpkin Records)のCDブックレットより引用。

平成25年7月頃 執筆
平成26年3月26日 ページ作成

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