池川伸治「四月十四日の死恋」(220円/1966年12月10日完成)

「夏の海で、朝子は、林剛夕(ごうせき)と言う熱血漢な青年と恋に落ちる。
 剛夕は北海道、朝子は東京に住んでおり、春に再会するまで、二人は文通で心の内を語り合う。
 しかし、朝子には一つ、心配事があった。
 それは朝子の妹、明子のことで、明子は小児マヒのために、下半身不随という気の毒な身の上。
 更に、父親は明子を忌み嫌い、断固として無視し、明子を二階の隅の部屋に閉じ込めていた。
 また、朝子も明子のことで友人からバカにされるだけでなく、明子のわがままに翻弄され、あまりいい印象を抱いていなかった。
 朝子は、明子のことを剛夕が知れば、彼の心が自分が離れるのではないかと危惧する。
 そこで、朝子は母親に明子と何とかするように訴え、母親は暗い表情で承諾するのであった。
 翌日から、屋敷にお手伝いが二人やって来て、明子の部屋の前に陣取り、朝子を明子に会わせてくれない。
 朝子が訝っていると、予定よりも早く、剛夕が朝子を訪ねると言う手紙が届く。
 剛夕を屋敷に招待し、朝子が彼を自分の屋敷の庭を案内していると、庭の植木の中から、傷だらけの明子が助けを求めて現れる。
 明子は二階の部屋からどうにか脱出して、隠れていたのであった。
 朝子が知らんふりをして、その場を立ち去ろうとすると、母親が現れ、明子を連れ去る。
 だが、剛夕の目はごまかせず、朝子は全てを白状する。
 熱血漢な剛夕は全てを水に流し、朝子に二人で明子の病気を治そうと提案する。
 その夜、朝子は、母親が、手足を縛られ、猿ぐつわをはめられた明子を車に乗せ、外出するのを目にする。
 翌日、剛夕は朝子に明子には会いたくないと突然言い出し、来年の四月十四日には明子のことが解決すると言い残して去る。
 そして、剛夕と同様、母親も四月十四日には全てがわかると話す。
 四月十四日に何が明らかになるというのであろうか…?」

 危険な内容です。
 不思議な短編「風鈴」と同じく「幼児虐待」を扱っております。
 ネタバレとなりますが、ぶっちゃけますと、「小児マヒで歩けない明子を、母親をはじめとして皆で寄ってたかって、ドツキまわし、ムリヤリに歩けるようにさせる」という治療以前の内容で、こちらとしては開いた口がふさがりません。
 まあ、池川伸治先生には、魚アレルギー体質の少女にバケツ一杯の魚をぶっかけて、アレルギー体質を克服させるという「鍵」(「月夜A」(宏文堂)収録)という作品もあったりしまして、「根性」さえあればどうにかなると思っていたふしがあります。(注1)
 そりゃ、巷で言われているように、「死ぬ気」になれば、何でもできましょう。
 ただし、「根性でボールが取れりゃ〜苦労はしね〜んだよ!!」(作者不明「ファックボールの歌」より勝手に引用)というのも事実なのであります。

 この作品はストーリー以外にも見どころが幾つかあります。
 まず、ヒロインの恋人の名前が「剛夕」なのは、もちろん、ひばり書房の貸本時代の最高最大のスター、小島剛夕先生からの借用でありましょう。
 御本人から了承を取ったのかどうか、ちょっぴり気になります。(どうも無断で使った感じがします。)
 それから、途中の「休憩」にて、池川伸治先生の誕生日が明かされており、「昭和13年(1938年)4月14日」です。(注2)
 御本人の談によると、「4」やら「13」やら縁起の悪い数字ばかりで、気に病んでいたそうです。
 ただ、これだけ誕生日が不吉だと、後年、大幸運がやって来て、大漫画家になるに違いないと開き直っております。
 その通りになったかどうかは、いまや雲の上の池川伸治先生にしかわかりませんが…。
 そして、作品の後にある「漫画教室」では、杉戸光史先生が手塚治虫先生についてアツく語っております。
 あの当時から「神様」だったのだと再確認した次第であります。

・注1
 しかし、実際は、下手にそんなことをすると、最悪の場合、アナフィラキシーショックで死亡することもありますので、絶対にマネはしないでください。

・注2
 「猪突猛進」な作風は、やっぱり「牡羊座」だから?

・備考
 ビニールカバー剥がし痕少しあり。ビニールカバーによるカバーの波打ちあり。袖にビニールカバー残り。背表紙色褪せ。糸綴じあり。

2017年4月4日 ページ作成・執筆

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