さがみゆき「千人目の石仏」(220円/1967年春頃)

「高木志摩子は神隠しにあってから、一月後に、発見される。
 志摩子は両親とともに別荘に来ていたのだが、この土地には時々神隠しが起こるのだった。そして、そうなったら二度と見つからないのであった。
 やつれてはいたが命に別状はなく、両親は安心するが、志摩子は記憶をなくしていた。
 しかし、ボーイフレンドの一夫のことはおぼろげながら覚えているらしく、一夫は志摩子と話をしてみる。
 志摩子は記憶の断片を必死に探りながら、一夫が「波紋の中からわたしを救ってくれた」と言う。
 志摩子の両親から記憶を取り戻す手伝いをするよう頼まれた一夫は、志摩子が神隠しの原因を知っているのではないかと考える。
 その夜、志摩子は自分を呼ぶ声で目を覚まし、夢遊病者のように外に歩み出る。
 志摩子を呼んでいるのは、炎に包まれた青年であった。
 青年のもとに駆け寄ろうとする志摩子を押しとどめたのは、一夫であった。
 志摩子は正気を取り戻し、どうして自分が外にいるのかわからない。
 家に帰ろうとすると、志摩子を呼ぶ青年の姿が二人の目に入る。
 志摩子はひどく狼狽し、「夢の三郎が私を夢の世界につれにきた」と言い、意識を失ってしまう。
 翌日、一夫は「夢の三郎」について志摩子を問い質すが、志摩子にもはっきりとわからないようであった。
 その夜、一夫は志摩子を見張っていると、案の定、夢の三郎がやってきた。
 志摩子は夢の三郎の胸に飛び込み、一夫の制止の声も聞かず、二人して歩み去ってゆく。
 そして、ある沼の波紋の中に二人は姿を消してしまうのだった。
「夢の三郎」の正体とは…? そして、志摩子の運命は…?」

 実は、ファンタジーなのです。(ちょっぴり残酷描写もあります。)
 味わい深いのですが、わかりにくいです。(後記で「少しややこしい」と作者自ら述べております。)
 また、すっきりしないエンディングがこれまた評価をビミョ〜なものにしてしまいます。
 が、少女マンガによくある、甘味料をぶち込んだようなファンタジーでなく、どこか骨太でゴツゴツしているところがいいのです。
 人の猿真似をして「洗練」を気取るよりも、自分の想像力と画力だけを頼りに「幻想的な作品」を描こうとしたことに頭が下がります。
 出来不出来は別として、ラブリ〜な作品であります。(でも、やっぱラストが…)

 ちなみに、この作品は、滋賀県高島町にある「十八本の細い木にかこまれた小さなグリーン色の沼」(p120)にインスピレーションを受けたと書かれておりますが、主人公が「志摩」子なのは、もしやそのため?

・備考
 カバーを本体に貼り付けてあったらしく、カバーやカバー袖にその痕あり。巻末ページに張り紙あり。後ろの遊び紙、折れとよれ、あり。

平成27年11月4日 ページ作成・執筆

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