松下哲也「死面ママと聖女」(220円)
「旅行に出かけた明と桜子は道に迷い、山奥に迷い込む。
運良く人家を見つけるが、そこには美しい女性が一人住んでいた。
女性は桜子を見て、驚いたような様子を見せる。
その夜、桜子が眠れないでいると、女性が桜子の寝室に忍び込む。
彼女は桜子の額のアザを確認しただけで、部屋を後にする。
翌日、女性のもとを去ろうとする二人に、もっと家にいてくれるよう女性は嘆願。
明は女性が桜子の秘密を知っているのではないかと疑う。
そして、夜、風雨の中、女性は憑かれたように外に走り出る。
密かに女性を見張っていた明が女性の後を追うと、女性は土葬されたばかりの死体を掘り出し、貪り食っていた…」
タイトルではさっぱり内容がわからないと思いますが、インパクトだけはトップクラスのタイトル。
ただし、想像を膨らませて、期待して読むと、内容との落差にガッカリするタイプのマンガであります。
まあ、こじつければ、ストーリーと関係なくもないのですが、勢いだけでタイトルを付けたと考えるのが妥当でしょう。
ストーリー的には、「顔のない眼」と、いばら美喜先生の「ある遺伝」の影響下にあると思います。
ある年齢になると発症する、顔がひび割れる(と言うよりも、血管の浮き出す?)遺伝病は、まんま「ある遺伝」です。
その遺伝病を生き別れた母子の再会に絡ませ、人間の美醜の問題に鋭くメスを入れる…はずだったのかもしれませんが、作者の頭の中で話がどんどん形而上的なものに飛躍していってしまい、釈然としないラストを迎える、という結果的には失敗作となっております。
とは言うものの、見所がないわけではありません。
「笑う鏡」のシュールレアリスティックな描写、
そして、土葬死体をかじりまくる描写の凶悪なこと…。
「恐ろしき人魚の島」と同じく、このカニバリズム描写だけでも読む価値はあると思います。
ちなみに、この女性が何故死体を食べるのかと言うと、この作品に出てくる医者の説明では、
「自分は世界から疎外されていると思う気持ちがこうじて…
あのような死人の肉をむさぼり食うというような歪んだ反抗として出てしまったんです……」(原文ママ)
って、あ〜た、疎外されただけで、そんな「歪んだ反抗」されたら、こちらがたまりませんがな!!(注1)
后記に作者は「すべて愛は理性なくして、その持続はありません」と言っておりますが、次いで理性の弱さを説き、「必要なのは、理性を超越した真(まこと)の心を個々にもたなければなりません」と主張してます。
この「理性を超越した真の心」というのがどういうものなのかがさっぱりわかりません。(注2)
この点が、この作品が混乱したものになった原因の一つかもしれません。
・注1
…ですが、斯様な「歪んだ反抗」って加速度的に新聞紙面を騒がせるようになっている気がします。
その最たるものが「○○○○国」(こんな命でも惜しいので、伏字にします)なのではないでしょうか?
そのことを考えますと、(私はキリスト教というものに信頼を置いておりませんが、)「汝の隣人を愛せよ」とは何とも単純かつ困難な教えであります。
・注2
松下哲也先生としては、「(神のような)分け隔てのない愛」を考えていたのかもしれません。
ただ、生身の存在としては、そのようなものは望むべくもありません。
「理性」と名づけられているものを頼りに、「かけがえのない」と言われればそのような気もするし、「汚辱」「クソ」「呪い」と言われればそのような気もする人生を歩んでいかなければいけません。
その中で、当然ながら、人は皆、迷い、戸惑い、悩みます。
そういう苦しみが滲み出ている(ような気がする)点で、この作品は、個人的には評価は高いです。(でも、失敗作であることは否定いたしません。)
太陽プロの他の作家では、池川伸治先生は社会の表面的なところの批判にとどまってしましたし、杉戸光史先生には○○○会という心の拠り所がありました。
この妙に宗教的なところが、私が松下哲也先生を偏愛する理由の一つであります。
(三田京子先生は、どちらかと言えば、池川伸治先生に近いと思います。)
・備考
カバー欠。
平成27年7月13・14日 ページ作成・執筆