池川伸治「うばすてやま」(1968年3月29日に完成/220円)
現在、日本は、歴史に類を見ない高齢化社会に突入していっております。
いろいろと取り沙汰はされておりますが、先のことはどうせわかりはしないので、なるようになるしかないでしょう。
希望を持たず、絶望もせずに、未来を受け入れるしかありますまい。
しかし、先行きが明るくないことだけは確かのようです。
今回は、その高齢化問題を半世紀も前に先取りしていた(かもしれない)マンガ、池川伸治先生の「うばすてやま」をご紹介いたしましょう。
「社会の底辺にも春がやって来た。
都会の隅っこのあばら家に集まって暮らす年寄りが四人。
爺と老婆が二人ずつ。爺のうち一人は足萎え、もう一人は寝たきりの身体。
社会にも家族にも見捨てられた彼らは愚痴を言っても、空しいばかり。
そんな彼らにも慰めはあった。
毎日四時になると、ある女生徒が彼らに差し入れを持ってくるのだ。
老婆が少女のお小遣いが足りないだろうと心配すると、少女は毎月小遣いを二万円(この本が220円という時代)もらっているという。
彼女は大金持ちの家の娘だったのだ。
彼女が大金持ちであることを知り、老人達の目の色が変わる。
女生徒の名は、美江子。
大きな邸に住む、お嬢様だが、彼女にも悩みがあった。
彼女は安信という青年に恋をしていたのだ。
しかし、安信は憂鬱症というやつで、全てがネガティブかつペシミスティック。二言目には「僕はダメな人間なんだ」と言うタイプ。
美江子が彼のためをいくら想っても、安信は放っておいてくれと背を向けるのだった。
美江子はこの苦しい胸の内を老人達に話す。
すると、老婆の一人が彼を救う、唯一の方法があると美江子にある提案をする。
美江子は、安信の性格を変えるという提案を聞くと、眉を曇らし、帰宅する。
老人達も老婆の提案に関して話し合うが、次の冬を越すためにはどうしてもやらねばならない。
下校途中、美江子は安信に「陰気な性格」が治る方法があることをしつこく話す。
安信は江美子に根負けして、遂に男泣き、江美子の提案を了承する。
休日、江美子と安信は、町外れのあばら家へ向かう。
家に入ると、老婆が後ろ手に縛られて、二人を待っていた。
老婆は安信に土間にある棒を手に取り、老婆を叩くよう言う。
さすがに躊躇する安信だが、江美子も安信にハッパをかける。
老婆と江美子に促されるまま、安信は夢中で老婆に棒を何度も振り下ろす。
ことが終り、二人が帰ると、畳の上にはお金の入った封筒が置かれている。
老婆は痛む身体を引きずりながら、そのお金を手にする。
この金は家を直すのに必要な金なのだ。
最近、めっきり明るくなった安信。
これも、休日に老人達の家を訪れ、老婆を棒で叩きのめす…という「治療」のお陰なのだった。
美江子は、見違えるように明るくなった安信と過ごす時が楽しくて仕方ない。あまりに幸せで涙が出ちゃうのだった。
一方、老人達の家。
老人達は何故安信の性格が一変したかについて話す。
この提案を言い出した老婆が言うには、これは彼女の祖父から聞いた話だと言う。
「なんでも人をたたくと、その人間の中にすむ悪魔が喜んであばれる」とのこと。そして、「悪魔があばれる時、その子が明るくなる」のだ。
もう一人の老婆が「ちょっときけんでは…」と不安を漏らすと、老婆も同じ気持ちだった。
しかし、老人達はやらなければいけない。
どんなことをしてでも、お金が欲しい。今年の冬までには、この家を直したい…。
希望に満ちた日々、だが、江美子の心にたまに影が差す。
一人の人間が幸せになるためには、ある程度の犠牲が必要だ。犠牲にしてはいけない、というのが正しいが、現実はそうはいかない。
安信が幸せになるために、老婆をひどい目にあわす。しかし、老婆達はそのことでお金を手に入れる。
何が正しくて、何が正しくないのか、江美子には判断がつかない。
それは安信も同じだった。彼も心のどこかで自分の行為にやましさを感じていたのだった。
江美子は、老人達にしばらく「治療」をやめて、様子を見たい旨、伝える。
とりあえずは、江美子の言うことを受け入れる老人達だが、老婆はまたすぐに戻ってくると言うのだった。
ある日の下校途中。
安信を見かけた女生徒二人が彼に声をかけると、どうも様子がおかしい。
病人のようにフラフラ歩き、急に道に倒れこんでしまった。
女生徒達が慌てて駆けつけると、息は絶え絶えで、目付も怪しい。
安信は女生徒達を急に殴りつけ、ぼっこんぼっこんにしてしまう。
安信が暴れたというニュースはすぐに江美子の耳に入り、江美子は安信を捜す。
彼は公園の池の畔にしょんぼり座り込んでいた。
明るかった面影はすっかり消え失せ、以前のように陰気で無気力になっていた。
彼は、自分が何故あのようなことをしたのか、わからない、しかも、二人を殴った後、嬉しくて嬉しくて仕方がなかったという。
自己嫌悪に悶え、死を願う安信に、美江子は「よろこんで殴られる相手を与える」ことを約束する。
美江子と安信は、老人達の家に戻り、一月の間、安信は老婆に乱暴して過ごす。
家を出ると、安信はさっぱりした顔で、「すばらしい……全てがすばらしい……僕は生まれかわったんだ」と元気一杯。
彼を不安げに見つめる美江子。
しかし、そんな美江子の様子には気付かず、安信はお花畑全開の頭で、希望に燃えるのだった。
老人達の家では、半死半生の老婆が老人達に介抱されていた。
傷だらけの老婆を見て、憤る老人達に、老婆は「もう終わったよ」と封筒の札束を見せる。
これで家を直せる、これで今年の冬を越せる…老人達は安堵の吐息をつくのだった。
その夜、満月の下、たたずむ二人。
美江子の顔は浮かない。
彼女は安信の笑顔が見たかった。その願いは叶った。しかし、安信の変わりようが怖い…。
と話しかけているうちに、安信は震えだし、冷や汗を流し出す。
安信は苦しさを訴え、苦悶に身を曲げる。
その時、美江子は自分が間違っていたことを悟る、お金では彼の心は救えなかったと…。
安信は近くに落ちていた棒を掴み、美江子に殴りかかる。
殴打され、その場にひっくり返る美江子。
安信は引きつった顔で奇妙な笑い声を立てながら、その場を後にするのだった。
おしまい」
う〜ん、やばくない?…この話…。
バリバリの「老人虐待」ものなのです。
「陰気な性格」を治す為に、老人をしばきまくり、しかも、それが中毒になってしまう…なんて話は、故・池川伸治先生ぐらいしか思い浮かばないに違いありません。
個人的な推測ですが、故・星新一先生の名作「鏡」(注1)の影響があるように思います。
でも、だからってわざわざ「老人虐待」に結びつくところが、池川伸治先生が社会派たる所以なのであります。
当時の老人達が抱える問題に決して理解があったわけではないと思いますが、思いつきと想像半分で描いたマンガが、半世紀を越えて、妙なリアリティーをもって甦ってくるってところに、池川伸治先生のトンガリまくった才能の凄さ、そして、日本社会の業の深さが感じ取れるのではないのでしょうか。
・注1
「ボッコちゃん」に収録のショート・ショートの名作。
内容は「深夜零時の合わせ鏡の中から、悪魔を捕まえた夫婦が、日々の鬱憤晴らしのために悪魔をいたぶって過ごす。悪魔いじめはどんどんエスカレートしていくが、ふとしたはずみで、悪魔が逃げてしまう…」といったもの。
読んだ当時は、大して感銘を受けませんでしたが、今考えると、かなり怖い話です。
そういうプチ・怖い話は、怪談のクラシックとして、語り継がれていくでしょう。
・備考
ビニールカバー貼り付けによる、本体の歪みあり。
平成27年1月末 執筆
平成27年10月1日 ページ作成